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侍のkurageのネタバレレビュー・内容・結末

(1965年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

夜中に見たせいか、ちょっと飲んじゃったせいか、観ながら何度も寝落ち。橋本忍と岡本喜八という期待せずにはいられないコンビだったので、眠くてもどこかで救われるはず、と思うも、必ず始まってから30分くらいの同じシーンで意識が消えていたので、流石に5回目ともなるとオープニングから30分のシーンは覚えてしまった。

とにかくオープニングが秀逸!かっこいい。
安政の大獄以降、井伊暗殺を目論む水戸の浪士、天狗党らが雪の日、暗殺計画が漏れていることに気づき、中止する。隠れていた浪人たちがわらわらと雪の中に現れるシーンのスタイリッシュなことといったら!
裏切り者は誰だ、と三船敏郎が登場するのだけど、アップになった三船の表情がなんともいえずニヒルで、アッと言葉をもらしてしまった。

50分くらいから緻密な橋本脚本が唸り始める。ここからは息をつかせぬ展開でラストへ。クライマックスの殺陣は激しく生々しいけれど、モノクロ画面と雪が幻想的なシーンへと昇華させている。

以下、好きなシーン

上州浪人、栗原栄之助と主人公の新納鶴千代が酒を交わすところ。
井伊暗殺に対して「世の中の大きな流れの中で、何かをやらなければ」という栗原に「自分は違う、侍になるのに(井伊を斬って手柄を上げるのが)手っ取り早いから」という新納。その理由は「今よりは人間らしく生きたいから」。父親を知らされず、浪人として生きてきた新納は自分を認める何かを求めていた。そんな新納に対し、「自分も同じ気持ちだ、ただ、拙者は自分のことだけではなく全ての人間が人間らしく暮らせる世の中でありたい、そう願うだけだ」という栗原。
対し、さっぱりわからんという新納。
「拙者にわかっていることはただ一つだけだ、栗原栄之助はいいやつだ、それだけだ」

泣ける......!

侍になりたかった新納。ただ一つの目標を結局は成しえたが、実はそれは終わりの始まりだったという皮肉。結果的に俯瞰すると登場人物たちそれぞれの感情がない交ぜになって訴えてくるような作品で、寝落ちして観るのを辞めなくてよかったとー。
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