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オッペンハイマーのkurageのレビュー・感想・評価

オッペンハイマー(2023年製作の映画)
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昨年、やっとこさ広島の平和記念館に行ってきたのもあり(行ったことがなかった)、映画後半はスクリーンを観ながら平和記念館で見たものが蘇ってくる作業を脳が勝手にやり始め、やるせく、怒りがわいた。

過去に見たり読んだりした日本側からの点の集積が反対側(アメリカ、ではなくオッペンハイマーという個人)から描かれることで、もう少し広い視点で事象を捉えられるようになったのはよかったな。広島を描いたものをこの機会に見直そうと思う。未見のものも。

本作は、広島、長崎の原爆投下シーンは直接的には描いていない。
これは受け取る人に委ねられている実験のようにも感じる。
エンタメとしてアメリカファーストな描き方をしつつ、原爆や水爆、戦争に対して強烈な批判を訴えているように自分には感じた。
広島、長崎は大きく描かれている。

ユダヤ人・オッペンハイマーのナチスドイツへの個人的な敵対心、復讐心が根底にあったからこそ粘り強く推し進められたマンハッタン計画だったが、原爆の使用権は国にあり。結局は東の小さな島国で使われて想像以上の被害を及ぼし、世界の常識を変えてしまった。
アカ狩り、マンハッタン計画、オッペンハイマーの恋愛と家庭事情が糸を撚るように織り合わさっている構成はシーンを追うのがやっと。スピーディーに展開されるので途中、登場人物がわからなくなり意味不明になることも。簡単にいうと個人的な恨みから始まって頂点を極めた男が、個人的な恨みによって失脚させられていく期間を映画化したもの。
引き返せないものを作ってしまった「原爆の父」と周囲の人間を「人間」として描いてエンタメにしてしまったノーランに拍手。
物理的進化の限界地点、精神的進化過程の苦悩をまざまざと見せつけられてしまった。

トリニティ実験のことを調べてみたら、2020年7月17日の東京新聞にこんな記事があった。
トリニティ実験を行ったニューメキシコ州ロスアラモス近辺の村には4世代にわたりがんと戦う人たちが政府を相手に被害を訴えている。政府は責任回避をし続けているー。
(そういえば、身近には米軍基地からのPFASの問題がある。これもまた責任回避するんではないだろうか)

現代に「それ」がある以前、以降の世界的変容があるとしたら、「AI 」になるのだろうか。だとしたら、今後、どのようなことが予想されるのだろう。良くも悪くも。
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