セトヤマ

そして僕は恋をするのセトヤマのレビュー・感想・評価

そして僕は恋をする(1996年製作の映画)
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1人の男、その周りに人々、そして3人の女。

1996年制作の映画、という事は、
アルノー・デプレシャン監督は60年生まれなので、
36歳の時に完成した作品。

結構長く撮影していたのかなと想像してしまう。
作品の印象から、映画から発せられる空気から、そう思い込んでしまう。
ゆったりとした、曖昧な雰囲気、
どこに向かってるのか、時間の感覚さえ分からなくなる。
誰かに感情を移入させるでもなく、ただカメラがそこにある、
そんな印象。(時にカメラは人物の目線となるのだが)

原題は「COMMENT JE ME SUIS DISPUTE... 」
フランス語が分からないので、ネットで翻訳してみると、
「どのように戦ったのか」とか出る。
僕としては邦題の「そして僕は恋をする」は、
ちょっとオシャレすぎるかなと、
そもそも個人的感想で言えば、この作品は恋愛映画ではない。
そう思うと原題の方がしっくりくる。
(訳がどこまで正しいか分からないが)

自分の人生を振り返って、点と点をポツポツと見せていく映画だと思う。
だから物語的カタルシスはない。
この映画が更にややこしいのは、
カメラは主役のマチュー・アマルリック演ずるポールだけを捉えていないという事。
ポールの人生の記録、みたいな映画でありながら、時として視点はフラッと入れ替わる。
ただ風に吹かれるように、その時の人物の感情を見せられて、
ただ波のように移り変わる気持ちに翻弄されて。

監督が36歳でこの作品をとった気持ちはすごく興味深い。
自分の人生が、どういったものなのか、
立ち止まって振り返った時に何を思うのか。
ラストの、彼の気持ちが、スッと入ってくると、
実に気持ちよく映画館を出れる。
結局、それでいいじゃないって感じがする。

だからこそ、三時間映画を見て、
それを無意味と思うか、意味があったと思うかは、この作品の雰囲気に入れたか入れてないかと凄く関わると思う。
フランスで公開時にヒットしたみたいだけど、フランス人は、やっぱりこの登場人物の誰かに自分を置き換えていたのだろうなと思う。

今作は本当にイメージしやすい、THE・フランス映画だと思うし、
アルノー・デプレシャン作品なんだなと思う。

さて自分の感想と矛盾する事をいうと、
結局、最終的にラストまで見ると、人生は恋愛なのだなと思う。
人と人のぶつかり、他人との関係の中で、自分を発見していく、
そしてその関係が何よりも深く気付けるのは恋愛である。
それは憎しみでもあり、嫉妬でもあり、ネガティブなことも含めて、
人間の感情の噴出は恋愛の中にあるのだなと。
(ちなみに、これは他者との関わり合い全てを含めて、恋愛という言葉で表現してるので、ただ恋人同士が付き合ったり離れたりすることの意味ではなく)

人生というものを考えるのは興味深い事である。
それを思い出せてくれる映画だなと思った次第。