たく

乳房よ永遠なれのたくのレビュー・感想・評価

乳房よ永遠なれ(1955年製作の映画)
3.7
乳房を失った女性の絶望と生への執着を描いてて、田中絹代の監督作を観るのは「月は上りぬ」に続いて2作目。月岡夢路がまあ美しくて、女としての生き方を諦めつつも最後にほんのひと時の恋をつかむ姿が切なく、オルゴールの寂しいBGMにジーンと泣けた。難病モノはあまり刺さらない方なんだけど、本作はお涙頂戴ではない静かな演出がかえって悲しみを盛り立ててた。脚本は成瀬巳喜男の作品を数多く手掛けた田中澄江。飯田蝶子と左卜全が贅沢な使い方だった。葉山良二の演技がやけに固いと思ったら、これが映画デビュー作とのこと。本作は31歳で乳がんで亡くなった歌人の中城ふみ子をモデルにしてるんだね。

若くして愛のない結婚を強いられたふみ子には二人の子どもがいて、病弱な夫は妻に対して悪態を吐き続けてる。このあたりは「嘆きのテレーズ」や「愛なき女」などと同じシチュエーションで、薄幸な女の定番設定。ふみ子は不幸な境遇の唯一のはけ口として詩歌を趣味にしていて、その詩歌教室で知り合った森にひそかな想いを寄せてる。彼がふみ子を救い出そうとする人物(「嘆きのテレーズ」のフリオ)になるかと思いきや、あっさりとフェイドアウトしちゃうのが拍子抜け。

詩歌の才能を認められたふみ子の身体に異常が起こり、その体験を基にした詩集で彼女の才能に惚れ込んだ東京新聞社の大月が北海道まで会いに来る。最初は彼を拒絶してたふみ子が、大月の熱心な訪問にほだされて心を許していくんだけど、その行動と裏腹に大月の表情から人間的な感情が感じられなくて、話し方と共に薄情な男にも見えてしまう(葉山良二の演技力の問題)。乳房を除去して吹っ切れたふみ子が、昔に想いを寄せてた森の愛用の湯舟につかるシーンで、森の妻に自分の本心をぶちまけちゃうところはちょっと女の怖さがあったね。大月が本社に呼び出されて病床のふみ子の元を去るシーンで、ふみ子が手鏡で大月の顔を盗み見るところは悲しかった。ここで鳴り出したオルゴールが幕切れまで寂しさを引っ張るのが何ともしんみりする。

乳がんを題材にした映画といえば最近では「あつい胸さわぎ」があったし、「秋深き」や本作とか、あと乳がんではないけど「おっぱいバレー」もあるし、自分が観たのは全て邦画。癌そのものを題材にした作品は「50/50」など洋画にいくらでもあるけど、おっぱい=女性の魅力という描き方にフォーカスした作品が多いのは日本独自の文化を反映してるのかな。
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