サマセット7

エイリアン/ディレクターズ・カットのサマセット7のレビュー・感想・評価

4.7
監督は「ブレードランナー」「ブラックホークダウン」のリドリー・スコット。
主演は「ゴーストバスターズ」「ギャラクシークエスト」「アバター」のシガニー・ウィーバー。

2122年、地球に帰還中の宇宙貨物船ノストロモ号は、規則的な信号を受信する。
乗組員7人のうち船長以下3人が信号を発していた小惑星に着陸し探査するが、そこでミイラ化した異星人の死体と卵上の物体を発見。他方船内の通信士リプリー(シガニー・ウィーバー)が解析したところ、信号はSOSではなく警告であることが判明する。
リプリーの不安は的中し、探査中の副長ケインの顔面に、卵から飛び出して来た異形の生物が取りつき、剥がれなくなってしまう。やむなくケインらを乗せて船は離陸するが…。

SFホラーの歴史に屹立する伝説的な名作。
1億ドルを超える世界的な大ヒットとなって、リドリー・スコットの、映画監督としての地位を確立した。
アカデミー賞視覚効果賞受賞。
アメリカ国立フィルム登録簿登録済み。
後のSF・ホラージャンルに決定的な影響を与えた作品とみなされている。
SFやホラーとしては勿論のこと、オールジャンルでもベストランキング企画で選ばれることが多い。
元々広く外国人という意味を持っていたエイリアンという単語を、今作が、異星人という意味として周知させてしまったことは有名である。

ジャンルとしては、異星人とのファースト・コンタクトもののSFと、密閉空間におけるモンスター・ホラーのミックスだが、今作ではよりホラー色が強い。

監督のリドリー・スコットは、英国ロイヤルカレッジオブアート卒の英才にして、映像作家として広告用動画分野では、当時すでに大きな成功を収めていた。映画監督としては今作が2作品め。
彼はゴリゴリの完璧主義者として知られており、今作の細部まで作り込まれた作品世界にその一端が見える。

今作のメインストーリーは、船内に侵入したエイリアンにより船内の乗組員たちが一人一人と襲われる中、エイリアンの撃退と船からの脱出を目指す点にある。
このシンプルな筋に、どれほど豊潤な作り込みがされていることか!

今作は極めて完成度の高い、まさしく非の打ち所がない傑作である。
何度も観ているが、見どころは余りにも多い。

何より注目すべきは、デザインである。
あまりにも有名なエイリアンのデザイン。
船内通路の無骨で密閉感ある空間デザイン。
船内の各部屋の機能的なデザイン。
2001年宇宙の旅オマージュのコンピュータールームのデザイン。
異星人の死体周辺の悪夢的デザイン。
衣服や小物など細部に至るまで。
これらは、見たこともない未来世界を描きつつ、いかにもあり得そうなリアリティを失わない、ギリギリのバランスで統一されている。
特に強烈なのは、やはり、シュールリアリズム作家H.R.ギーガーの手になるクリーチャー・デザインだろう。
そのデザインを語る際は髑髏、機械、性器などが引き合いに出されるが、いずれにせよ悪夢的というに相応しい。

今作はスコット監督の手により、徹底してリアリティが追求されている。
乗組員のサバサバしたやりとり、「本社」の雇われ労働者としての生々しい愚痴、カジュアルな普段着、2001年宇宙の旅を参考にしたと思しき宇宙描写、小惑星探査時のビデオ通信などの二次映像、感染防止規定を巡るやりとりなどなど。
エイリアンからして、卵、幼体、亜成体と脱皮しながら成長していき、やがて恐るべき姿になるという過程は、生物として驚くべきリアリティがある。
上述するデザインに基づくクリーチャー描写なども、CGのない時代としては驚愕のリアリティである。
登場人物の行動も基本的にロジカルであり、知恵を駆使してあくまで合理的に、できることをしようと努力する。ホラー映画でキャラクターの馬鹿さ加減にうんざりすることは多いが、今作では基本的にそうしたことはない。
些細な例外は猫関連のいくつかの行動だが(リドリー・スコット自体も批判を予測していたようである)、これもヒューマニズムの表れとして自然に理解できる範囲にとどめられている。

こうしたリアリティを追求した描写、演出、デザインが徹底されているからこそ、宇宙空間という非日常空間にもかかわらず、観客は没入感を失わない。
そのため、映画史上に残る幾つかのショッキングなシーンを観客は思う存分楽しむことができる。
卵からの強襲!
回復したかに見えたケインの顛末!!
科学主任アッシュ!!!
猫!!!
動くものを探知する装置の光点の動き!!!

恐怖表現という意味では、「密閉された通路」の光と影が交差し、明滅を繰り返す描写、蒸気が噴出する描写、上から下に液体が滴る描写が頻出するが、いやーな感じがして誠に楽しい。

今作はよくある低予算ホラーと異なり、一定の製作費が出ている。
これは今作の2年前に公開されたスターウォーズと未知との遭遇のヒットによるSFの一大ブームの影響が大きい。
その結果、今作はキャスティングにもこだわっている。
ある程度の年齢とキャリアを重ねた俳優たち(男性5名、女性2名)は演技力が熟れており、リアリティの醸成に一役買っている。
7人それぞれホラー映画の登場人物にしてはキャラが立っている。
特にシガニー・ウィーバー演じる通信士リプリーの、恐怖に耐えつつ示される従来のホラー映画ヒロインにはなかった沈着な行動力と、科学主任アッシュを演じるイアン・ホルムの映画史に輝く怪演は印象に残る。

今作は多様な深読みに耐えられるだけの深みを有する。
よく言われるのは、フェミニズム映画との評価である。
なるほどエイリアンの造形は男性器を思わせ、これに抑圧される女性が、自らの意思と行動によって抑圧を打破すべく闘争する様は、男性中心社会からの女性の解放を表現しているようにも思える。

とはいえ、私なりの理解では、今作のテーマは、我々の人類社会の常識や理解と隔絶した絶対的な異界の存在と、その理解不能さのもたらす恐怖にあるように思う。
船長ダラスら乗組員らが下す「人間的な」判断や一見倫理に乗っ取った対応は、尽く裏目に出てしまう。
そして、世界がいざ異なる恐るべき様相を見せた時、卑小な存在でしかない人間になす術はなく、もはや逃げる以外にできることはない。
これぞ、未知との遭遇やE.T.では描かれなかったファーストコンタクトの想像し得る最悪の形であり、また、ホラー映画ジャンルそのもののテーマではないか。

今作においてより一層興味深いのは、営利企業としての「本社」の描写である。
今作の惨劇の原因に鑑みると、人倫と異なるロジックで動くモノは、ひょっとすると我々のすぐ近くに、ずっと以前から蠢いていたのかも知れない、と思わせる。

ホラー映画に新たな定番をもたらした最終盤の一連のシーンは、今見ても緊迫感溢れる名場面である。

SFホラーの歴史的名作にして、完璧に構築された芸術品の如き大傑作。

今作はその人気からシリーズ化されているが、SFホラーとしての完成度で今作を上回ることは困難であり、続編はさまざまな工夫を凝らして新規性を出していく。
最も顕著なのが続くエイリアン2で、監督を務めたジェームズ・キャメロンは、ジャンルを変えてしまうという荒業を使用。
その結果、今作のエイリアンが有していた絶対的異界性や宇宙的な恐怖は、希薄化することになった(ついにはエイリアンvsプレデターにまで至る。逆にリプリーは超人的な英雄となる)。
そうだとしても、単作としての今作の素晴らしさが失われることはない。
今作の前日譚である、リドリー・スコット監督の「プロメテウス」や「エイリアン/コヴェナント」は未見なので、楽しみにしたい。