ヨーク

素敵な歌と舟はゆくのヨークのレビュー・感想・評価

素敵な歌と舟はゆく(1999年製作の映画)
4.1
監督の逝去に伴い追悼特集ということで渋谷イメージフォーラムで開催中のイオセリアーニ追悼特集4本目。
俺が初めてイオセリアーニを観た特集上映が去年の5月くらいで、それから1年経たずに監督が亡くなって追悼特集という形で今回新たに未見の数本を観ることができたのだが、最初の特集上映の最後に観たのがたまたまだが『皆さま、ごきげんよう』という映画でそれは結果的には遺作となった2015年の映画であった。詳しくはその『皆さま、ごきげんよう』の感想文を見てもらいたいのだがざっくりとした感想としては、これはイオセリアーニの集大成だな、というのが『皆さま、ごきげんよう』の第一印象だった。なぜいきなり他作品の感想を…? と思われるかもしれないが、本作『素敵な歌と舟はゆく』はそのイオセリアーニの集大成たる『皆さま、ごきげんよう』の前身というか姉妹作のような感じだと思ったからなんですよ。
この感想文を書いている24年の3月1日の時点でイオセリアーニの長編映画(中編と短編はいくつか取りこぼしがある)はすべて観たので多少は総括的なことを言っても許されると思うのだが、1999年の作品である本作は当時すでに65歳という日本で言うなら普通に定年でリタイアしている年齢であったイオセリアーニが意識して集大成として取り組んだ作品ではないかと思うのだ。その集大成とは何かというと、境界線とか壁とか、その内側と外側を分かつもの、それに縛られずに自由に生きていきたいよねっていうことが本作のメインテーマであると思う。もっと極端な言い方をすれば、酒と音楽さえあれば何とかなるよ、というイオセリアーニの根っこの部分を突き詰めたような映画なのだろう。
そのストーリーがどういうものかというと、本作の発展形である『皆さま、ごきげんよう』もそうであったように非常に文章で説明するのは困難なのだが、要は様々な立場の人間の群像劇である。だがその中でも本作では特に二人×二組の人間模様が象徴的に描かれていて、その立場の違う合計四人が主役格と言ってもいいのではないかと思う。
まず一組目の二人だが、その内の一人は富豪の息子の青年で、彼は自宅であるお屋敷からお忍び的に抜け出すと普段のビシッと決まったスーツ姿からラフなジーンズ姿に着替えてパリの街中で皿洗いのバイトをしたりカフェのウェイトレスに恋をしたり不良仲間とつるんだりする。そしてもう一人はいかにも貧乏そうな清掃員(もしかしたら移民かも)なのだが、彼は休日になるとビシッと決まったスーツに着替えて友人から借りたハーレーダビッドソンに乗ってどこぞの金持ちの放蕩息子然とした感じでナンパを繰り返したりする。その一組が本来の自身の立場から越境してトランスフォームする存在として完全に対となる関係で描かれるわけだ。
んでもう一組の二人はというと、その一人は上記した富豪の息子の父(演じるのはイオセリアーニ自身である)で、彼は大富豪の生活に飽いていて野心家で事業をどんどん拡大しようとする妻にも愛想が尽きていて毎日飲みながら鉄道模型をいじったり猟を楽しんだりしてほぼ隠居したような生活を楽しんでいる。もう一人はその富豪の息子がパリの街中でつるむ中の一人で、中年のホームレスのおっさん(『群盗、第七章』でもホームレス役だったアミラナシュヴィリである)である。彼は無類の酒好きで歌も上手く、ジョージアの民謡を歌い上げることができるということくらいしかできないという、端的に言えばただの酔っ払いである。
本作ではこの二組×二人の姿がパリ市内の群像劇のさ中で特に大きな比重をもって描かれるのだが、そこで浮かび上がってくるのが上記したお互いの立場の違いと、それを越境しようとしながらもその困難さに阻まれてお互いに分かり合うことはできないまま人生が過ぎていくというものだと思うんですよ。ただそこでスーパーパワーを発揮するのが酒と音楽で、この二つがあったらその壁は少しだけ低くなるし、お互いの立場も何か曖昧になっていい感じがするんじゃないかな、っていうところに落ち着くんですよね。そこは正直ファンタジー全開だとは思うけど、俺はイオセリアーニのそういうところが好きなので本作も大変面白い映画だなと思いました。
もちろんそういう緩いコメディな作風の中に時折鋭い社会批評が挟まってくるのでその辺も面白かったし、その辺がイオセリアーニが自身の集大成として意識したのでは思う理由でもあります。これが10数年を経て『皆さま、ごきげんよう』に繋がるのだと思うと中々感慨深いですね。酒と音楽という楽し気なモチーフだけでなく、ローラースケートとか銃とかといった要素も重要なパーツとして『皆さま、ごきげんよう』へと継承されてるよな。あとは動物要素もか。随所で鮮烈な印象を残すオオハゲコウなんかは、境界を行き来したりはせずに屋敷の中に居続ける者としてある意味では本作の象徴でもあり一番重要な存在かもしれない。
人はそう簡単に自分以外の存在にはなれないかもしれない。でもそれができたら人生はもっと楽しく別の可能性を見せるかもしれない。ま、そんな簡単にはいかないけど、音楽と酒があれば何とかなるよ、という映画でした。その酒と音楽の部分がイオセリアーニ節バリバリで良かったですね。相変わらずビシッと決まったカメラワークで一つ一つのシーンも見応えあって群像劇としても面白かったです。
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