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東京物語のKuutaのレビュー・感想・評価

東京物語(1953年製作の映画)
4.6
全く書き尽くせる気がしない日本映画の金字塔ですが、思い付くままに列挙していきます。

血の繋がらない紀子(原節子)に肩を揉まれ、戦死した息子の布団で泣くとみ(東山千栄子)。抑えた喋り方の原節子。実の親子の様な繋がりに近付いたと思ったら、危篤の報を受ける。その時の会社での、雑音が響き渡る孤独表現が上手い。

「毎日が何事もなく過ぎて行くことが耐えられないです。このまま行ったらこの先どうなっちゃうんだろうと考えると恐ろしいんです」。紀子は美しく親切ではあるが、尾道は「遠いから」行かないと答えたり、エゴを垣間見せる。どこに心を置いているのか分からないある種の不気味さ、亡霊のような雰囲気すら感じるキャラクターだが、終盤で本音を打ち明ける。再婚しないのではなく、現状から踏み出そうとしないまま記憶だけが薄れていくのだと。

紀子は若い京子(香川京子)に親の死を割り切るよう諭すが、自分自身は夫の死から抜け出そうとしない(2人のスカートの色の対比にも注目)。夫の思い出に耽溺するために義理の親に親切にする、という偽善。「ずるさ」を告白して、何なら周吉(笠智衆)に叱ってもらいたかったのかもしれない。しかし周吉はそんな気持ちを知ってか知らずか、「それでいいんじゃ」と最高の笑みを見せる。あっさりと手渡された形見の時計を見つめる彼女。冒頭と対照的に、轟音上げて走る汽車が再出発を印象付ける。彼女はもう顔を隠し、本音を隠して泣く事はなくなった。

尾道から上京した老夫婦の葛藤がメインと見せかけて、東京で1人で暮らし、未来を見失いかけている女性の心の変遷を捉えた映画。「老夫婦が東京へ行って帰る物語」であると同時に、「紀子が尾道に行って帰る物語」でもある。この映画が終わる瞬間、紀子の新しい東京での物語がスタートする、という構造を持っている。

京子は子供に混ざって学校に出勤する。どんな大人も、誰かの子供である事を示している。子供を思う教師だからこその終盤の台詞。

言い出したら聞かない子供。酔っ払って知らない人を連れてくる。子供の頃は膝枕で寝ていた。枕を気にする周吉(責めるそぶりもないとみが素敵)と、枕を投げつける孫。この辺の描写は全て、世代を超えて家族が同じ事を繰り返す様を示している。

子供は歳をとるほど親から離れ、身勝手になっていく。親は子供に満足できないが、妥協しながら見守っている。子供は子供で老いた親を迷惑に思いながら気を使っている。冒頭で学習机の位置で揉める辺りから、世代を超えた親子の小競り合いが始まっている。(肉だけでいい。煎餅でいい。熱海に行かせればいい…)。

それでも、親からしたら子供が「自分の世界を持つ」、それだけでも、若くして戦死されるよりはマシなんだろうなと思った。子供を戦争で失った親たちの飲み会で流れる軍艦マーチは、非常に皮肉めいていた。

カメラを遮るように床に置かれた小道具。室内に座っての会話が多いが、蚊取り線香、タバコの煙や暗闇で揺れるうちわが固定された画角内で動きを生み出す。うちわを誰のために扇ぐのか注視するだけで幸一(山村聰)や志げ(杉村春子)のキャラクターの違いが分かる。老夫婦が家の中でシンクロしたように同時に動くのも面白い。

照明。幸一の家の二階で、最初の夜のゾッとするほど明暗のコントラストが効いた就寝シーン。老夫婦には死の香りすら漂っている。

脚本上の省略の巧さ。とみの臨終の瞬間や、幸一、志げが家を去る場面はあっさりとカットする。東京の地名は出てこない。次男の遺影はアップにならない。一々全部は説明しない代わりに、生活の空気はちゃんと見せつける。中流階級の生活感。医者の家だから玄関の開閉が分かるように扉にベルが付いている。

笠智衆は当時49歳にして79歳の設定の役柄。背中に綿を入れて腰の曲がった様子を表現したらしい。

小津映画の代名詞とも言うべきローアングルでの固定撮影。2人の人物が真横で並び、顔が別方向を向く。人物間で顔が交差する絶妙な配置。右目線の会話→カットバックで右目線を再び入れる。3回目のカットバックは2人を引きで収める。

冒頭、老夫婦の会話の間に文字通り近所のおばさんが「割って入ってくる」。ラストで全く同じ構図を繰り返すが、この時は妻のいたスペースがぽっかり空いている。孤独感が増した様子を画面の配置だけで伝えている。

映画全体を貫く、他者とのどうしようもない断絶。船の汽笛と時計の音が鳴り続けるラストは、それでも世界が続く事、周吉がその世界と一種の諦念とともに一体化し、受け入れていく事を示しているのだろう。

ノスタルジックなロケーション撮影。東京の煙突と対比される、尾道の蒸気船。荒川の土手は映すが、川は見せない。東京のシーンでは抜けの良い画面を入れない。観光の場面すらバスの窓枠越しに撮る。土手と熱海の海岸でだけは白昼夢のような遠景ショットが使われる。

「血が繋がっていれば家族なのか」というテーマは是枝作品にも通じるが、流石に小津作品、ワンカット毎の構図、美術へのこだわりが、非現実的な世界の中の寂しさを巧みに浮き上がらせている。93点。
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