かなり悪いオヤジ

白鯨のかなり悪いオヤジのレビュー・感想・評価

白鯨(1956年製作の映画)
3.8
広く知られていることだが、スターバックス・コーヒーの社名の由来は、この原作小説に登場する一等航海士の名前にあるらしい。その原作小説には、“モヴィー・ディック”こと白鯨を“男性器”のメタファーとして描いた箇所も多々発見できるらしく、ゲイ文学のレイヤーを身に纏った古典としても再評価されているのだとか。また、鯨にまつわるマニアックなトリヴィアにかなりのページ数を割いており、メルヴィルの衒学趣味的一面も感じられる、一言で形容することが非常に困難な鯨オタク小説でもあるらしい。

名匠ジョン・ヒューストンによる本映画化作品は、白鯨=神ととらえ、エイハブ以下捕鯨船乗組員たちは神と敵対する狂人として描かれている。小説に書かれたその他の要素は殆ど省かれていて、神vs人間の戦いの一点に的が絞られているのだ。本作の権利関係を全て握っているグレゴリー・ペック演じるエイハブ船長の狂気に、若干及び腰だった乗組員たちが次第に引きずり込まれていく様子が生々しく描かれている。それは、敬虔なクェーカー教徒であるスターバック一等航海士の助言を、船長エイハブが全て無視する形で強調されていく。

銛を何本も撃ち込まれた(モックアップの)白鯨が、怒り狂って母船に突撃を食らわすシーンなどは、なるほどスピルバーグが真似したくなるのもよくわかる出来栄えだ。小型の模型と実物大のハリボテを組み合わせたというスペクタクルな映像も、CGの無い時代としてはまずまずの特殊効果をあげている。そんな海洋パニックものの元祖といってもよい本作だが、興行的には大ゴケしたというから驚きだ。気恥ずかしさのあまりペックが、本作の数シーンを『ジョーズ』に流用したいというスピルバーグからのオファーを断ったくらい。

個人的には嫌いじゃない、どちらかというとエンタメにふったヒューストンの演出が裏目に出たのだろうか。エイハブが怪しげに光る“セントエルモの火”を素手で消してみせたり、撃ち込まれた銛についたロープで雁字搦めになった故エイハブが“おいでおいで”をしたり....子供の頃に本作を観てトラウマとして記憶に残っていたことに、今般再見してあらためて気づかされたのである。おこがましくも「この世に神は一人でいい」といい放ったエイハブの姿が、かつてパクスアメリカーナを標榜したアメリカ人に重なったからかもしれない。

そのアメリカの狂気がのり移り、海底に、いな戦争へと引きずり込まれていった国が過去にいったいいくつ存在したのだろう。“エイハブ”とはつまり、“自由”や“金貨”をエサに我々を決して勝ち目のない終わりなき競争へと案内するウェルギリウスだったのではないだろうか。かつては栄華を誇った国々もやがては消耗し、経済小国への道をひたすら下り落ちていったのだから。語り部として一人生き残ったイシュメールは、本物の船乗りではなく捕鯨経験者でもない、ただの(原作者メルヴィルと同じ)好事家である。故にエイハブ船長の狂気を、ネタとしてある程度の距離感をもって対象化することができたのであろう。