かなり悪いオヤジ

オッペンハイマーのかなり悪いオヤジのレビュー・感想・評価

オッペンハイマー(2023年製作の映画)
3.8
実は本作の原作になっている『アメリカン・プロメテウス』を、映画鑑賞前の予習用として、数ヶ月前に図書館から借りてこっそり読んでいた私。どうせノーランのことだから、原形をとどめないほどに(複雑に)脚色しているに違いないと予想したからである。しかしこのアカデミー7部門受賞作品を実際に拝見させていただくと、(かなりハショってはいるものの)ピューリッツァー賞受賞ノンフィクションにかなり忠実にえがかれており、私の素人予想は見事に外れたわけである。

映画前半のクライマックスはロスアラモス研究所におけるトリニティ原爆実験、うって変わって後半は、共産主義者として疑われたオッピーが原子保安委員会の公聴会に呼びだされ吊し上げにされる様が、原作同様克明に描写されている。科学者としての、あるいはユダヤ人としての使命感から、ハイゼンベルク率いるナチスドイツチームよりも先に原爆を開発しようとまとめ役に徹するオッピー。見事軍の要望に応え原爆を完成させるくだりは(日本人としては複雑な心境にはさせられるけれど)とてもドラマチックなのだ。

問題は映画後半、核の管理方法をめぐって対立したストロースの陰謀により、栄光の座から一転引きずり下ろされるくだりが、原作ノンフィクション同様かなり退屈なのである。3時間超えの長尺だけに、ここであえなく撃沈された方も多かったのではないだろうか。時系列をクロスさせて編集に工夫をこらしてはいたが、“原爆の父”とも呼ばれた男を狭っ苦しい小部屋で検事がねちっこく言葉責めする様子は、観ていてあまり気持ちのいいものではないのだ。

私は、この聴聞会のシーンと、通訳賭博関与についての大谷記者会見とが、重なって見えてしょうがなかったのだが、皆さんはどんな感想をお持ちになったのだろう。識者によると、大谷が莫大な契約金の9割を10年後に受けとるという、カリフォルニア州にとっては脱税に等しいその契約内容に事の発端があったとか。10年後大谷が他の州に移籍したり日本に帰国したりすれば、まるまる所得税をとりっぱぐれることに気づいたIRSが、躍起になって大谷周辺のアラを探し回ったというわけなのである。劇中オッピーに恥をかかされたストロースのように。

ギリシャ神話のプロメテウスはゼウスから“火”を盗んだ神として知られているが、もう一つ、未来を予測する能力の持ち主でもあったのだ。ノーラン曰く、本作に登場する一流の科学者たちは、俗にいわれる“ナイーブ”な科学バカなどではなく、原爆開発後その道徳的責任に問われ政治的に邪魔者扱いされることを、予めわかっていたというのだ。しかし、相対性理論のアインシュタインも、量子論のボーアも、そして“原爆の父”オッペンハイマーもみな、新たな知識を手に入れた時それを知らないことには出来なかったのである。

たとえ地球全体を破壊する危険性があったとしても、周囲が核という“パンドラの匣”を閉じることを許さなかったのである。ロスアラモスの所長にオッピーをスカウトしたグローブス中将、「手が血で汚れたら洗えばいい」とオッピーにいい放ったトルーマン、原爆の何十倍という威力の水爆開発をやめようとしなかったテラー、オッピーの共産主義者的な動きに水をさしたローレンス、そして、オッペンハイマーという“名声”と結婚したアル中妻キティたちが、オッピーがナイーブな科学者にとどまることを決して許さなかったのである。

広島と長崎に原爆が投下された後、アインシュタインやボーアの予測通りオッピーにアカの嫌疑がかけられると、自ら“殉教者”としての道を選んだ。それがクリストファー・ノーランのオッピーに対する見方なのである。完成させた2つの原爆をロスアラモスから運び出す軍のトラックを寂しそうに見送るオッピー。もはやその使い道さえ詳しく知らされない開発者の姿は、ファイナルカットやネット配信の権利を配給会社に握られている映画監督の弱い立場と重ならないであろうか。2024年の映画賞を独占した本作ではあるが、イギリス人巨匠のコメントは極めて慎重で言葉少なであった。