亘

ローマの休日の亘のレビュー・感想・評価

ローマの休日(1953年製作の映画)
4.5
【王女を変えた1日の冒険】
某国の王女アンは過密日程の欧州歴訪でイライラ気味。ついに訪問4か国目のイタリア・ローマで街に逃げ出してしまう。しかしそれは彼女を変える1日の始まりだった。

映画史に残る名作。個人的には、もはやラブストーリーとは別ジャンル「ローマの休日」だと思う。若い王女がこっそり町へ抜け出し恋愛や様々な経験を通して大人へと成長する。物語のつくりとしてはシンプルだし脚本がすっきりと無駄がない。さらに特に前半にはところどころコメディ要素がちりばめられていて、飽きさせない。オードリー・ヘップバーンやローマの街も美しく映されていて、何度見ても飽きない。

アン王女は若くてあどけない。王女として欧州歴訪はしているけど、公務は堅苦しいし過密スケジュールで飽き飽きしている。寝室の窓の外を見れば、ローマ市民たちが楽しく踊っていてうらやましい限り。翌日からもひたすら公務だし、いい加減イライラが溜まる。ついに町へとひそかに繰り出すのだ。序盤のアン王女はまだかわいい子供である。

通信社に務めるジョーは庶民。賭け事に興じ家賃滞納してるようないい加減な男である。ただ正義感は多少あるようで街中で寝てるアン王女をいやいやながら介抱する。翌朝アン王女の記者会見をするはずが寝過ごし所長には怒られる。ただ介抱している女性が王女だと分かった瞬間ケロッと態度が変わる。序盤のジョーはコミカルで、特に所長とのやり取りは漫才のようでもある。

中盤アン王女はジョーの家を出てローマの街を散策。何より一番大きな変化は長髪をバッサリ切ること。それまでのあどけない様子から少し垢ぬけたように感じる。そしてスペイン広場でジェラートを食べていたところジョーと合流、カメラマンのアーヴィングも加わりついにジョーとアン王女の冒険が始まるのだ。この冒険はドタバタではあるけど見どころもかなり多い。スクーターの2人乗りや真実の口はあまりにも有名だし、昼間の冒険はまさに楽し気。アン王女の満面の笑みが可愛らしい。

ただ夜になり船上パーティーに参加したところから状況が変わる。アン王女の国のシークレットサービスとの攻防が繰り広げられる。このシーンはまたドタバタでジョー、アーヴィングだけでなく美容師がもみ合いに加わりさらには音楽隊がBGMをつける。それまで受け身だったアン王女も瓶やギターで応戦するのもある意味成長かもしれない。冒険や騒動を乗り越えジョーとアン王女は恋仲になる。

ドタバタや楽しいシーンを過ぎ終盤からは切なさが出てくる。アン王女が元の生活に戻るときがやってきて2人は離れるのだ。ただ序盤の出会ったころとは2人の様子が全く違う。アン王女は、すっかり大人の女性になり上品になった。ジョーは、アン王女を利用しようというよこしまな思いが消えた。そんな2人が翌朝記者会見で顔を合わせる。ここでジョーの当初の魂胆がバレるけど、アン王女の会見やジョーの発言からは2人の信頼関係が伝わる。それにアーヴィングが改心して写真を王女に渡したのは印象的だった。なのにジョーとアン王女が直接話せたのは一言二言だけ。1人でとぼとぼ広間を歩くジョーの姿は切なかった。ただ互いの今後を考えたら最善の策だったんだろう。

印象に残ったシーン:2人がローマを観光するシーン。2人がキスをするシーン。記者会見でローマが印象に残ったと王女が話すシーン。王女が記者たちにあいさつするシーン。ジョーが広間を1人歩くシーン。

印象に残ったセリフ:"Life isn't always what one likes, is it?(人生はままならないものだ、そうだろ?)";船上パーティの後ジョーの家で、ジョーが王女に話すセリフ。

余談
・原題"Roman Holiday"は文字通り「ローマの休日」ですが「他人を犠牲にして楽しむ」という意味もあります。これはローマ帝国では休日に剣闘士の戦いを庶民が楽しんだからです。文字通りの意味以外にジョーとアンが、アーヴィングを振り回し自分たちだけ楽しんでることも表しています。

・真実の口でジョーの口が抜けなくなり手がなくなるシーンはアドリブです。グレゴリー・ペックが、当時新人だったオードリー・ヘップバーンの緊張をほぐすためのものだったそうです。

・今作の脚本はダルトン・トランボですが、当時トランボは共産党と関係があったとしてハリウッドを追放されていました。そのためイアン・マクレラン・ハンターという脚本化が名義を貸しました。今作はアカデミー脚本賞を取り、脚本賞はハンターに贈られました。詳しくは「トランボ ハリウッドに最も嫌われた男」をご覧ください
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