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泥の河のmireiのレビュー・感想・評価

泥の河(1981年製作の映画)
4.4
私生活が忙しく、映画鑑賞は出来てはいても中々感想を書く時間が確保出来ておりません...つまらないアカウントになっており申し訳ございません。随時投稿しております。

皆さんの投稿観ております!素敵なレビューばかり!


Amazonプライムでは300円、Netflixすればなんと無料で配信されていた、今しか見るべきタイミングがないとおもい視聴。

舞台は大阪、懐かしい関西弁があちらこちらで聞こえている、字幕で配信されているため、とても見やすい。

もはや戦後ではない、そういう言葉が生まれた年の話だ(正確に言えば前年、監督が後に変更したとの事。理由は戦後は今も続いていると言う暗々裏のメッセージ性がこの映画には込められているからだと私は思う)
戦争というものが歴史ではなく、過去であった時代の話だ。
今の私達は戦争というものが一体どういったものなのか、映像や文章、そういったものでは理解しているがその空気を感じたことがない。
その亀裂を見たことがない、悲鳴を聞いたことがない、泣き叫ぶ人を見たことがない、理解していないのだ。理解したふりをしているだけだ。だがこの泥の河の時代は全員が戦争というものを知っていた。
戦争が終えても尚生きるということに苦しんでいた、そして戦争とはまた違う命の保証が無い生き方をしている人々が大勢いた。

物語の始めがおじさんの死であることがとても悲しかった。
馬車に轢き殺されるシーン、辛かった、正直見ていられなかった。
彼はトラックを買うと希望を持って笑顔で言っていた。
もちろん中古だと、ゲラゲラ笑いながら、恥ずかしそうに...だがどこか誇らしく、明日を、未来を強く生きようとしていた。
そんな人が事故で亡くなってしまうなんて、まるで私が親しく思っていたおじさんが亡くなったかのような虚無感に苛まれた。

信くんが馬を見つめていた、どこか憎たらしい憎しみを持った目で馬を見つめていたのかもしれない。
馬はどこかを見つめていた、おじさんではなく、助けに来た人々ではなく...私にはどこか悲しそうに見えた、辛そうに見えた。
動物は繊細な生き物だ、何が起きているかなんてわかりやしないと、人間は思うかもしれないが、あの馬にだって何が起きているかくらいはわかっていたのだと思う。私はあの馬を責めることができない。

きいちゃんとの出会い、雨の日の出会い、あそこを雨の場面にした事、監督の芸術感を垣間見れた気がする。
雨の中あの馬車を見つめているきいちゃん。
何も言わずに近寄っていく信くん。
「これ売ったら高いぜ」
「売っちゃダメだよ 人のものだよ」
「わかってるよ」
もうこの会話だけで2人は友達になれたのだと思う。
とても綺麗な受け答え方だ、とても綺麗で素直な会話、私はそう思った、この映画はまるで小説を読んでいるかのような気になる。
感想が吐息のように流れる。
私はこの映画を観てよかった、全てが愛おしい、恋しい、寂しい。
今この感想を述べているだけで涙が出てきた、何故かはわからないが、どこか喪失感に駆られている。

きいちゃんの残酷さ異常さを知ってしまった蟹の炎上事件。
あのシーンはダメだった、私には到底見ることができない、1度は見たが二度目は無理だ、あれ実際に燃やしているのだろうか、そういった記事があるのだとすれば確認したい。
蟹を燃やして喜ぶきいちゃん。信くんには到底理解ができないだろう、私にも理解ができない。あれは1種のサイコパスみたいな行動だ、彼が生まれ育った環境に理由があるのだろうか。

時系列が戻ってしまうが軍歌のシーンも良かった。
信くんのお父ちゃんはとてもいい人だ、心優しく紳士的。
どこか過去に囚われているかもしれないのだが、それでも前を向こうとしている、そこに希望はないのかもしれないが、なんとか生きていこうとしている。彼なりの譲れない信念がある。
きいちゃんがからかわれた時に、客に出ていけと言ったシーンかっこよかった。とても誇らしいと信くんは思ったのだろう。
お母ちゃんも優しい人だ。ワンピースをきいちゃんの姉にプレゼントしてあげるシーン素敵だった、それを返すお姉ちゃんもとても素敵だった(本来なら寂しいだとか可哀想だとか何故?だとかそう言う感想なのかもしれないが私にはとても立派に思えた)。

最後に、加賀まりこが美しい。目が大きい、口も大きい。
とても綺麗だ40歳には見えない、あんなに美人な40代見たことがない。声も美しく、大阪弁も緩やかで聞き心地の良いものだった、子供を育てる為に必死にお金を稼ぐ、陸に上がれず、水の上で生きていく可哀想な女なのかもしれないが、私は尊敬する。

あんな女優になれたら、なれるだろうか、私に。なりたい、負けたくない。なってやろう。
mirei

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