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少林寺木人拳のnoteのネタバレレビュー・内容・結末

少林寺木人拳(1977年製作の映画)
3.4

このレビューはネタバレを含みます

ある事がきっかけで口が不自由になった若者は、幼いころに殺された父親の敵を討つために少林寺の門弟となった。ある日、寺の裏の洞窟に見知らぬ男が鎖で繋がれているのを発見した若者は、男に酒を運んで仲良くなり、少林拳の奥義を伝授してもらうのだが…。

2024年、我が青春のアクションスター、ジャッキー・チェンがもう70歳になると聞き、かつての勇姿を見たくなって本作をセレクト。
コミカルな作風のカンフー映画を一世を風靡し、その後のハリウッドでの活躍は誰もが知るところだが、初期にはこんなシリアスな作品もあったなぁ…。
カンフー映画お約束の復讐譚と修行によって強く成長する若者。
「木人路」なる奇抜な修行と復讐の相手が師匠であるというジレンマが他のカンフー映画とは一味違うインパクトを放つ。
今見ても面白いカンフー映画の佳作である。

物語は若者が門弟となったばかりの時から始まる。
毎日水を汲んでは階段を登り、樽に入れるの繰り返えし。
カンフーは上達せず、先輩にも馬鹿にされる。
そんなある日、寺の洞窟に鎖で繋がれている男ファユーを見つける。
若者は優しさからファユーに食べ物や酒を持っていき、お返しに彼からカンフーを習い出すと、メキメキと力を付ける。
また若者の努力を認めた尼僧からも拳法の心を習ってゆく。
強くなった若者は少林寺を出ることを決意し、最終試験「木人路」へ挑むのだった。

この「木人路」が今見てもインパクト大。
自動のからくりで動く木製人形「木人」が何十体も並ぶ細い小道を木人の攻撃をかわし、または倒しながら進まなくてはならないのだ。
木人を初めて見た時、子ども心に「着ぐるみじゃないか…ダサい」と思ったものだが、いい大人になった今、それをツッコむの野暮というもの。
動く理屈はどうあれ「ファンタジー」の一言で片付けよう。
何せ多勢に無勢。ちょっとでも油断すれば集団リンチのようにボコボコにされる危険な修練なのだ。
何度も囲まれ、殴られながらも木製のからくり人形と戦い「木人路」を撃破した若者は、高僧に認められ、下山を許される。

後半は運命のイタズラが若者を惑わせる。
街へ出た若者は、やくざ者に絡まれていた食堂の一家を助け、少林寺を逃亡したファユーと再会する。
若者はかつての恩返しとして少林寺の僧たちからファユーを助けるも、ヤクザ者の首領である彼の残酷な本性を目の当たりにして戸惑う。

一方の少林寺はファユーの襲撃によって壊滅の危機に瀕し、最後の希望として小唖に秘術を教え込む。
ファユーとの決闘の場で彼こそが、幼い頃に父親を殺した仇と知らされ、迷いが晴れた若者は闘いを決意する。

若者はファユーとの戦いを制するも、かつての師に恩を感じ、とどめを刺せない。
しかしファユーは若者を殺そうと技を繰り出し、それを避けられ、自分自身の拳によって死んでしまうのだった。

主人公が最後の最後まで、喋らないところに強い意志を感じる。
そして、クライマックスで主人公が敵ではあるが、拳の師匠である相手を説得し、最後までとどめを刺さない。
「罪を憎んで人を憎まず」なのか、強い上に心優しき主人公である。
喋らないのに関わらず、素直な心根が見ているこちらにも伝わるジャッキーの演技が良い。
整形前の素朴な顔立ちのせいもあるが。

敵は主人公を最後に殺そうとするが、失策により自らを殺めるというより、個人的には罪を償い自害したかのように見える。
弟子が師匠を超えるという話を、こんな形で描くというのがいまだ斬新に映る作品だ。

正直、シリアスな復讐譚に徹するならば「木人路」という奇抜な修行は要らなかった気もするが、多人数相手でもそれだけ強くなったのだと視覚的に分からせるための苦肉の策だったのではないか?と今にして思うし、木人が無ければ、堅苦しい作品になり、人々の記憶には残らなかったのではないだろうか?
ツッコミどころは多いが、ギャグとしか思えない木人のコミカルさが、「笑えるアクションはインパクトが大きいのでは?」と、もしかしたらジャッキーの方向性を決めたのではないか?と今にして思う。
初期のジャッキー作品で記憶に残る作品であることに異論を唱える人はいないだろう。
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