継

ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだの継のレビュー・感想・評価

5.0
デンマーク王子ハムレットの学友ローゼンクランツ(ゲイリー・オールドマン)と、ギルデンスターン(ティム・ロス)は、行く宛の判然としない道中で旅芸人の一座に出会い、その座長に誘(いざな)われるように城内へ導かれる。王から、ハムレットの行動を見張るよう命じられる二人だが、それは思いもよらぬ運命をもたらすのだった。。

'68年のNY公演でトニー賞受賞(演劇作品賞)した舞台を、'90年にトム・ストッパード自ら映画化したもの。
シェイクスピアの『ハムレット』で、その死が↑タイトルの一言であっさり片付けられるほど端役な二人。
本作は、そんな二人を敢えて主役に据えてハムレットの世界を再構築していきます。
ティム・ロスは『レザボアドッグス』の2年前、
ゲイリー・オールドマンは『レオン』の4年前、まだ若い二人の、元舞台作品らしい丁々発止な会話が楽しい作品です。

“ 舞台の外で起こる事を 舞台で演る、
退場を別の場への登場と見れば一切を演っているのだ ”
ー旅芸人の座長ー
本作のストーリーはあくまで『ハムレット』に則って進行します。従って舞台の大半はエルシノア城となり、本筋では端役の、出番の少ない二人は手持ちぶさたに城内をウロウロする(笑)はめに。
本筋に関わる台詞も少なく、うっかりセンターに居ると本筋が始まってしまい “一人にしてくれ” と厄介払いされる始末。
肝心の出番!が来ると王から “ハムレットの様子を探れ” と使いっぱしりな受け身な役ばかり。
墓掘り人(本作では亡霊と共に出てきませんが)の様なキャラの味付けもされていないからコメディリリーフにもなれず、主役なのに舞台袖へ捌(は)けていく二人…その様子が可笑しくてコチラは笑ってしまうわけですが(T∀T)。

でもでも、二人は頑張るんです! o(*≧∀≦)ノ
表ばかり出るコイントスや、道中からワープでもしたように城内に居たり、捌けたつもりが何故か舞台へ出たり、戻るはず無い紙飛行機が戻ってくる、そんな理不尽で場違いな思うように行かない世界で、二人は二人なりに此処に居る意味を精一杯考え、動き回ります。

ローゼンクランツは蒸気機関や複葉機、音階なんかをうっかり発見/発明しそうになるのです!
が、『ハムレット』にそんな筋はもちろん無く、逸脱出来ないわけでそれは許されず、ギルデンスターンが握り潰す事になっちゃいます(´Д`)ノ
その反面 “描かれなかっただけで裏では当然あったであろう” とストッパードは話を膨らませ、本筋に無い浴場シーンをサービスカットまで入れて茶目っ気たっぷりに描いてみせます。

劇中劇『ゴンザーゴ殺し』の改変は重層的かつ飛躍的で、仮面劇で観せるリハが “尼寺へ行け!” のエピソードで一気に本番『ゴンザーゴ…』へ転換し、いつの間にか人形劇と化した芝居はハムレットの策略に引っ掛かった王の “明かりを持て!” の台詞で漸(ようや)く本筋が追い付く、という畳み掛けるその “Re-mix” !。
劇作家たるストッパードが楽しみながら紡いだ事をうかがわせる、ユニークなものでした。

本作で鍵を握る、旅芸人の一座。
彼らは観衆の居る場に忽然と現れ、喜ばれるであろう芝居をご覧にいれます。
使用人達が笑い転げるその芝居は、題名こそ伏せられているもののまさに『ハムレット』!
ストッパードは、芝居なんて観る者次第と言わんばかりに、王族が滅びゆく物語は媚びへつらう使用人にとって「喜劇」だろうと、その意味を転換して観せるのです。

使用人達と共にこの「ハムレットとおぼしき」芝居を観た二人は、そのクライマックスから死の暗示を受け
以降、その逃れられない運命に思い悩む事となります。

“ 我々は悲劇役者 ト書に従い 選択は出来ぬ
悪玉は不幸な最期を 善玉は不運な最期を
それこそが「悲劇」だ ”

この座長の台詞の通り演者は芝居から逃れられません。
移動舞台を馬に引かせ、芸人一座を率い、その一切を司(つかさど)る座長、リチャード・ドレイファス。
時空を超える神出鬼没で、幕間(まくあい)を埋めて繋いでいく。それでいてあくまで二人の脇役として放たれる怪しい存在感は流石でした。

芝居は現実を映す鏡。
ならば、そのト書に翻弄され、抗(あらが)い、死の恐怖に打ち震える二人の姿は私たちそのもの。
『ハムレット』にピタリと辻褄を合わせるクライマックス、二人はまさに表題の通り死んでしまいます。
けれどそれとて当前の事と、座長は二人を芝居セットに “回収” し、旅芸人の一座は新たな観衆を求めて城を後にする... 見事なオチでした(o^-')b !。
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