開明獣

スローターハウス5の開明獣のレビュー・感想・評価

スローターハウス5(1972年製作の映画)
5.0
今から101年前の今日、11月11日にドイツ系アメリカ人の小説家カート・ヴォネガットは、アメリカ合衆国イリノイ州インディアナポリスに生を受けた。彼が著した本作の原作、「スローターハウスNo.5」は、ベトナム戦争時にアメリカの大学生にもっとも愛読された小説と言われている。開明獣の海外小説パーソナルベストでもベスト5に入るほど好きで、原書でも読んでいるくらい好きな小説だ。

ヴォネガットに影響を受けた日本人作家といえば、村上春樹が有名で、特にそのデビュー作、「風の歌を聴け」は、そのままヴォネガットのスタイルをまるパクりしている言っても過言ではない。

そのヴォネガットの代表作を、「スティング」や「明日に向かって撃て」の巨匠、ジョージ・ロイ・ヒルが映像化したのが本作。カンヌの特別審査員賞(監督賞のこと)を受賞している。

ヴォネガットは、二次大戦に従軍し欧州戦線でドイツ軍の捕虜となり、ドイツの一都市、ドレスデンに収容された。ドレスデンは、軍事施設のない美しい都市だったが、大勢が決した戦争終結間際、英国軍の報復爆撃によって、殆どが民間人の数万人が犠牲になった悲劇の都市だ(劇中では13万5千人となっているが、定かではない)。ヴォネガットは捕虜としてその惨劇のただ中にいて、あまりの惨状にただならぬ衝撃を受ける。復員して作家に転身してから名声は徐々に高まっていたが、ドレスデンの経験を書こうとしてもトラウマからか、中々書けなかった。

そんな過去と訣別しようと、かつての戦友とドレスデンを訪れることに決め、その戦友の家で戦争中の昔話に花を咲かせていると、戦友の奥さんがとても不機嫌なことに気づく。不思議に思って理由を訊くと、戦争を英雄物語として美化して描くつもりなんだろう、と言われる。その本を読んだ若い人たちが、戦争に憧れるのは嫌だから頭に来てるのだと言われショックを受け、決してそんな本にはしないと誓う。

映画にはない、小説の出だしのこの物語の成り立ちの経緯が上記の話だ。だからヴォネガットは、本作の原作をSFの化粧を施したスラプスティクスにしたのだ。テッド・チャンの「あなたの人生の物語」(映像化作品はドニ・ヴィルヌーブの"メッセージ")のように、時間の概念が非連続体という四次元に住む宇宙人、トラルファマドール星人に誘拐された地球人、ビリー・ピルグリムが時空を超えてさまざまな体験をするという話しだ。その体験の内の一つが、ドレスデン爆撃なのである。

原作が黒いユーモアに彩られたシニカルなコメディタッチのエレジーなのに対して、この映像化作品は、もっと暗くてシリアスなタッチになっている。原作からは大きくアレンジが施されており、そこは賛否両論だが、どちらも反戦がテーマということには変わりはない。

ロシアのウクライナへの侵略戦争、イスラエルによる市民への無差別虐殺など、いまだ戦争のやまぬ現代にヴォネガットが生きていたらなんと言うだろうか。ペシミストで、皮肉屋のヴォネガットは、実は誰よりも人間を愛するユマニストだった。もし今、存命だったなら、きっと彼は痛烈な風刺を効かせた小説を書いたに違いない。

「作家とは炭鉱のカナリヤたるべし」、とヴォネガットは言う。かつてガス探知機がなかった時代には、カナリヤを入れたカゴを鉱山に持っていったという。人よりもガスに鋭敏なカナリヤが、鉱山で危険なガスを事前に察知して鳴いて知らせるように、作家も世にあってはかくあるべしとヴォネガットは言った。蓋し、至言であろう。

本作が偉大なる作家の代表作への導線とならんことを心から願うばかりである。
開明獣

開明獣