エイデン

ゴジラ ミニラ ガバラ オール怪獣大進撃のエイデンのレビュー・感想・評価

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おとなしい一郎は都会育ちの想像力豊かな小学生
両親が共働きのため、学校が終わると誰もいない家に帰る日々を送っていた
ある日、同級生の幸子と帰宅する途中、一郎は“ガバラ”と呼んでいるいじめっ子とその取り巻きに出くわし、からかわれてしまう
アパートの家の帰った一郎は、すぐ近くに住む自称発明家の南の家で遊んでいた
面倒見の良い南は一郎に、“ちびっこコンピューター”という発明した玩具を与える
出かけてしまった南を他所に、一郎はコンピューターで大好きな怪獣と通信をする遊びをしていたところ、いつしか眠りに落ちてしまう
気づけば一郎は飛行機で“怪獣島”に向かっており、そこには“ゴジラ”や“アンギラス”、“マンダ”などの怪獣達が
ゴジラが“カマキラス”や“大ワシ”と戦う姿を見て大興奮
すると一郎の前に、自分と同じくらいの大きさのゴジラの息子“ミニラ”が現れる
ミニラは言葉を話すことができ、一郎とすぐに打ち解ける
帰って来た南に一郎の母タミ子から、旅館の仕事で帰れなくなったと連絡が入る
南は一郎を起こすと夕飯をご馳走するのだった
翌日の帰り道、一郎は真空管を拾って喜ぶが、またしてもガバラらに目をつけられ、真空管を取られてしまう
偶然それを見かけた貨物列車運転手の父 健吉は、気の弱い息子を心配するのだった
ガバラらに追いかけられた一郎は、秘密の隠れ家であるビルの建設現場へと逃げ込み事無きを得る
そこで遊び始めた一郎は、しばらくして上の階から何かが落ちて来て驚く
それは誰かの身分証で、上階にも人影は無く一郎はそれを持ち帰る
しかしそこには2人の男が隠れていた
2人は世間を賑わせていた逃亡中の強奪犯で、顔を知られた一郎を狙い始める



ゴジラシリーズ10作目の作品
あらすじの通り、シリーズで唯一怪獣がいない世界を舞台にした異色作
ゴジラ達怪獣は、主人公一郎の夢の中でのみ登場する

邦画の低迷した時代に、まだ受けのいい子どもをターゲットとした作品で、『怪獣マーチ』という元気いっぱいの楽曲とともにスタートする時点で、もはや初代のシリアスさは消え失せている

ただストーリーとしては、いじめられっ子の主人公が夢の中のミニラに励まされながら成長するという『ネバーエンディング・ストーリー』みたいな王道である
現実と夢のリンクだったり、まとまりもあって意外にもよくできた映画
子どもっぽさは否めないけど

特撮面に関しては、これまでのシリーズの功労者である円谷組が大阪万博の映像制作のため関わりが難しく、特撮監督も本多猪四郎が兼任しているのが特徴
ちなみに円谷英二は監修としてクレジットされてるものの製作には関わっていない
また本作公開の1ヶ月後に円谷英二は死去している

上記の理由に加え、実は予算も大幅にカットされている
何と全盛期の4分の1近いという具合で、製作陣は鬼の節約撮影を敢行
シリーズで唯一プールを使用した撮影はせず、いくつかのシーンは過去作から流用している
そのためいきなり夜になったり昼になったりもするけど、涙ぐましい努力の結晶なので、突っ込まないでおいてあげよう
一郎くんが観た映画の記憶かもしれない

そんな中 新怪獣としてガバラが登場
作中では語られないもののガマガエルが放射能で巨大化したという設定で、手から電流を流して攻撃する
一郎にとっては現実世界のいじめっ子ガバラと同一とも言える存在で、同じいじめっ子のミニラを応援する形で物語は進行する
映画シリーズには本作のみの登場で、その他の東宝作品では『行け!ゴッドマン』や『行け!グリーンマン』に登場
子どもを食べたりするヤバいやつになってる
またゴジラのアニメ映画シリーズの外伝小説『GODZILLA ー怪獣黙示録ー』にもその姿を見せている
こっちもまあまあヤバいやつ

昭和ゴジラシリーズではたまに怪獣が喋る(翻訳される)シーンがあるけど、本作は夢ということもあってミニラは完全に子どもサイズで、流暢な日本語を操る
クソ気持ち悪いとか言ってはいけない
自在に巨大化するなど、もう何でもありである
さすがは人知を超えた絶対生物の息子

制作側の狙いもあって、かなり子ども向け感が強い作品だけど、ちゃんとゴジラシリーズでもあるので、童心に帰って観ましょう
誰だミニラをクソ気持ち悪いって言ったやつ
エイデン

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