えいがうるふ

バッファロー’66のえいがうるふのネタバレレビュー・内容・結末

バッファロー’66(1998年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

若い頃友達の家のホームパーティで流し見したがほぼ内容を覚えていなかった。先日観て迷わず満点スコアを付けた「ディナー・イン・アメリカ」のレビューで引き合いに出している人が多かったので、これを機に満を持しての再鑑賞。

ふむふむ。これは確かに珍作にして傑作。たまらなく愛おしく、想像以上にストレートな負け犬救済ストーリーだった。
痛々しいほどナイーブで手負いの獣のようなビリーと、ルックスはもちろん言動もいちいち危なっかしいものの、包容力がかろうじて服を着ているようなわがままボディの天使ウェンディ(レイラ)。こんな愛おしい二人のボーイ・ミーツ・ガールだなんて、好きに決まってる。

キレキレのカメラワークといい編集といい、もちろん小道具や衣装背景音楽に至るまで計算され尽くした投げやり演出とでもいうか、単なる殺風景と紙一重の無造作仕上げの絵作りがじわじわくる。映像的には粗にも見える演出がヴィンテージもののダメージジーンズのように「分かる人間には分かる」味として珍重され、あの時代のスノッブな人々にオシャレ映画の筆頭としてやたらもてはやされたのも納得。

絶対いいヤツなのにビリーにとことん雑に扱われるグーンが切ない。でも、いったい誰得?と叫びたくなるだらしない下っ腹激写アングルといい、ずっ友らしきウサちゃんぬいぐるみやら画面の隅で蠢くハムスターやらがチラ見えする無駄に情報が多い背景といい、実は相当な愛されキャラなのが伝わってじわじわくる。
彼を筆頭に、毒親を絵に描いたような全く話の通じないビリーの両親など脇役もいちいちクセが強く、その悪ノリスレスレの作り込みに独特のセンスを感じる。(ただし好きになれるかはかなり人を選ぶと思われ・・)
突然の落とし穴のように挟まれるビリー父の無駄に聴かせる懐メロ熱唱やら、突如スポットが当たりレイラがボウリング場で踊りだすタップダンスシーンなど、えっ、何ここ笑うところ?と戸惑いつつもゲラゲラ笑ってしまう迷シーンが散りばめられている。

そんなこんなで一見荒唐無稽で勢いだけのパンク映画と見せかけて、実はとんでもなくストレートなAll You Need is Loveを叫ぶ脚本が貫かれているのがミソ。ラストに仕掛けられた、ここに至るまでの数々のツッコミどころがキレイに吹き飛んでしまう反則技であっさりノックアウトされ、気がつけば思いもよらなかった清々しい多幸感に包まれている・・・

え?なに?このまんまとしてやられた感は!?
くっそう・・なんか悔しいが認めざるを得ない、好きだーーー!!

本人が全部やってるだけあってギャロはこれ以上ないほどのはまり役。何しろ主人公ビリーがあまりにも面倒くさい社会生活不適合者キャラなので、ギャロほどの切迫感と色気のある個性派イケメンでなければあの感動のラストまでとても引っ張れない。そして最後まで突っ走ればこそあの急転直下のエンディングの爽快感を味わえるという構成ゆえ、その訴求力が絶対不可欠の作品なのだ。つまり自分ならそれが体現できると分かってたギャロがヤバい。女性にとっては最大級の危険人物!(笑)
そのギャロに負けず劣らずはまり役のヒロイン、クリスティーナ・リッチもまさに逸材。「アダムスファミリー」のあのスレンダーで愛想皆無の悪魔的美少女ウェンズデーが、まさに真逆の魅力あふれる見た目アバズレ中身天使のファム・ファタールに育つことを、当時の誰が予想できただろうか。

ところでなるほど確かに前述の「ディナー・イン・アメリカ」はかなりこの作品の影響を受けているに違いない。ただし、原点であるこちらの方が映像もキャラクターも桁違いに癖の強い方向へ突き抜けているので、ハチャメチャに見えたあちらがえらくまともな整った作品に思えてくる不思議。