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『愛のさすらい』に投稿された感想・評価

pika
3.0
ベルイマンのイギリス映画で英語作品だが脚本はベルイマンだしスタッフもキャストもベルイマン組のメンバーなんだけれども全体的にキレがない。
不倫に興じる男女の出会いからベルイマン独特の切り口で描いているが、テーマがテーマだからなのか個人的には苦手な作品だった。

全部見たわけじゃないから何とも言えないけれどもベルイマンの他の代表作と比べると今作は観客の意向に近づけた娯楽作を作りたかったのかな?と少し思ったりするくらい異色な作品だった。なんだか「ちょっと試しに作ってみたい」なんてスタッフ達と飲み会で盛り上がって作り始めたはいいけどシラフになったら「いつもと違うから大変だ」みたいなことになったような。

不倫映画然としたスリルと愛欲をキャラクターの感情表現をすっ飛ばして見せる演出は特に「こういうのお好きでしょ」と言わんばかりな感じがあるが、それにしてもドライな画面ばかり。
いつもと違う道路を走るのは疲れるなぁと通常運転へ戻そうとしたニヒリズムなのか、愚かさと居心地の悪さに満ち満ちて行く後半の展開は、むしろ不倫に溺れ堕ちていくフィルムノワールなんじゃないか!とハッとさせられたが、そんなベタなものでもないし、結局はベルイマンらしいエンディングを迎えるわけなのだけれども、見ていてどこをどう楽しめばいいのかグラグラと主軸が定まらない作品だった。

今作のメインテーマは「愛と責任」なのだろうか、愛ゆえに盲目になった男女と人生の責任という相容れない正反対な感情を描き出すのは面白いが、一人の人間の感情ではなく映画そのものを俯瞰で表現している印象が強いので、不倫なんて良くないし責任はあるべきものだし当たり前だよなと第三者で見ると思ってしまうので、映画的なカタルシスがなくイマイチ面白くはなかった。
愛だ責任だなんだ言っているけれど、結局ひとがくっついたり離れたりする理由は、ほんとはくだらなくてバカバカしいものだろ、って結局セリフでグールドに言わせてしまってもともこもないちゃないけれど、みているこちらは溜飲が下がるのでまあ良い。ロンドンのグールドを訪ねて行ったアパートにいた姉と名乗る謎の女性、彼女が出てくるだけで映画がピリッと締まったような気がする。ビビさんは赤のコーディネート多め。
あらゆるものが申し分ないという女性を描き、ある状況の彼女の肖像を作りたかった。結果において、私は恐ろしく具体的なディティールの経験に没頭することになった。そこから物語は成長し、その背景なしで物語は不可能だっただろう――イングマール・ベルイマン

ベルイマン監督の初めてのアメリカ資本の英語作品。ベルイマンにとって初めてのアメリカ人キャストとして、前年の「…YOU…(ゲッティング・ストレート)」を観た上でエリオット・グールドを指名した。原題は「The touch(ザ・タッチ=接触)」。

秋のスウェーデン。病院に駆け付けたカーリン(ビビ・アンデション)は母の死に目に遭えず悲しみに暮れる。通りがかりの男デヴィッド(エリオット・グールド)が慰めるが涙が止まらない。偶然にもデヴィッドはカーリンの夫(マックス・フォン・シドー)の歴史研究の同僚で、最近イギリスから来たばかりだった。カーリンは夫と二人の子供と共に安定した生活を続けていたが、デヴィッドの強引なアプローチから不倫関係に陥る。精神的に不安定なデヴィッドはホロコーストで親兄弟全員を殺された過去を告白するのだが。。。

公開当時、アメリカでは不評でスウェーデンでは好評だった。この結果が本作を象徴している。異なる価値観の“接触”を描くことが本作の主旨だったと思う。まず、ベルイマン常連俳優の二人と、ヒッピー髭のエリオット・グールドが並んだ時の違和感が凄い。このためにグールドを配役指名したのは間違いないだろう(製作のABC社からポール・ニューマン、ダスティン・ホフマンも提案されていた)。伝統を重んじながらも母の喪失から不倫になびくヒロイン。ひたすら彼女を奪おうとしホロコーストさえ手段(妹の存在で虚言だったことが示される?)とする男。二人は古いマリア像の元で触れ合い、再びマリア像に対した時に価値観の違いを露呈する。その時ヒロインは受胎しているが誰の子かはわからない。まるで、この接触の結果として背負った刻印のように見える。

本作では異文化の上下や善悪を示すものではなく、ベルイマンのテーマのひとつである“人間関係に伴う困難さ”の一例を描いたと受け取れる。しかし穿った見方をすれば、当時べトナム戦争の当事者だったアメリカを批評しているように思えるし、そのように観ると内容が腑に落ちる。ならばアメリカで不評なのは当然だろう。逆から見たら、異物としてのグールドがキャスティングされたことでべルイマン監督の世界が客観化され、結果として自己批評が成立しているのも興味深い。

映像も構成もベルイマン流でありながら、現実世界のグローバルな視点を取り入れた異色作。個人的には非常に面白かった。隠れた傑作だと思う。

※ラストカットは前作「沈黙の島」(1969)と同じである。そのナレーションを借りて「彼は今、エリオット・グールドになった」と当てるとわかりやすい・・・。

※「第七の封印」(1957)からの常連俳優マックス・フォン・シドーの最後のベルイマン作品。

※製作はABC(アメリカン・ブロード・キャスティング)映画社