青山祐介

魔の山の青山祐介のレビュー・感想・評価

魔の山(1981年製作の映画)
3.5
『ショーシャ夫人は美しい…(ハンス・ヴィスリング)』

トーマス・マンの「魔の山」の映画化は不可能だと思っていました。この映画作品は、3部構成によるテレビ映画で、上演時間は5時間半近くかかります。それでも魔の山の世界を描くには短すぎるのかもしれません。しかも、日本では2時間27分の短縮版しか観ることができません。そのために、映画の全貌を知ることができず、映画そのものの感想は完全版を観てからにしたいと思います。そして日本語字幕付き完全版が発売されるのを願って、あえて感じたことを中途半端なままで投稿することにいたしました。
映画化にあたっては、その脚色の難しさ、思想的な問題もさることながら、登場人物の造形をどうするのか、俳優は誰を使うのか、どこに焦点をあてるのか、造る側よりも観る方が悩んでしまいます。マンは登場人物の名前を電話帳からとってくると聞いたことがありますが、名前と人格の絶妙な一致には驚かされます。ナフタはナフタという名前でしかありえず、それ以外の名前はありえません。カストルプにしても、ゼテンブリーニしても、ペーペルコルンにしても、プリビスラウ・ヒッピにしてもしかり、原作から受けた最初の印象があまりにも強烈なために、それに囚われてしまうあまり、なかなか映画の中の登場人物に感情移入ができないのです。
主人公である単純な一青年、ハンス・カストルプ
プロイセン的軍人精神の代表者で美男子の部類に入る従兄弟、ヨーアヒス・ツィームセン
異様な外貌、頬骨が高く出て、遠い山肌のような青みがかった眼のプリビスラウ・ヒッピ
人文主義者で啓蒙家、博識の教育係、ゼテンブリーニ
キリスト教的共産主義者、虚無的、黙示録的破壊者、「ちび」のナフタ
横溢した生命、堂々たる体躯、魁偉な容貌のペーペルコルン
そして一番気になるのはクラウディア・ショーシャというロシア婦人です。
ショーシャ(熱い猫)夫人は、中背で、うす赤いブロンドの髪を編んであっさりと頭のまわりに巻き付け、頬骨が高く、細いパンケーキのひびのような目をして、目のまわりの皮がささくれている、手は淑女らしくなく、横にひらき、指が短く幼稚で子供っぽく女学生のような手であり、投げやりな、腹をへこませて、ぐんにゃりと座ると頤椎骨がもりあがる独特の姿勢、しかし、腕は手よりも美しく、ほっそりとして肉付きがよく、かぐわしい変容を見せる、行儀の悪さに腹を立てながらも好きにならざるにはいられない女性です。。母性を欠いた、それゆえの魅惑を持つ、娼婦でもあるショーシャ夫人。
ハンス・カストルプが最初にショーシャ夫人に出会う場面で「食堂を横ぎっていたのは一人の婦人 ― 女性であった」とあえて女性といわれる「その婦人の頬骨が高くて、眼が細いのをちらりと見た。… それを見ると、なにかの、そして、だれかのぼんやりとした思い出が彼の心をかすかにちらりとかすめた」その頬骨の高いヒッピ少年の思い出からこの映画は始まり、魔の山のヴァルプルギスの夜に案内されます。
私もまずこのダイジェスト版を案内人にして「魔の山」に登ることにしました。完全版を観るための準備ともいえます。そしてこの危険な登山の手助けをしてくれるガイドブック
田村和彦「魔法の山に登る ― トーマス・マンと身体」関西学院大学出版会 2002年
佐藤白「トーマス・マンの女性像 ― 自己像と他者イメージのあいだで」彩流社2014年
この興味深い二冊の書物を道案内にして… 
ルキーノ・ヴィスコンティに「ドイツ3部作」と呼ばれる作品があります。「地獄に堕ちた勇者ども」1969年、「ベニスに死す」1971年、「ルートヴィッヒ」1972年、これに「魔の山」を加えて、ドイツ4部作にする計画でした。残念ながら実現には至りませんでしたが、もし映画化されていたら、どのような作品になったのでしょうか。ショーシャ夫人には誰を起用したのでしょうか。また、タルコフスキーはマンの世界に興味を持ち「ファウストゥス博士」の映画化を考えていたそうですが、どのような映像を見せてくれたでしょうか。
青山祐介

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