OASIS

砂漠のシモンのOASISのレビュー・感想・評価

砂漠のシモン(1965年製作の映画)
3.6
歴史上に実在したという柱頭修行者・聖人シメオンの伝説を描いたルイス・ブニュエル監督作。

砂漠のど真ん中に聳え立つ無機質な柱の上で、祈りによって神から与えられるというレタスだけを食べ、祈りを捧げているシモン。
6年6週6日の間修行に励んだ彼は、その行いを賞賛され司祭の地位を約束されるがそれを断り、次は更に一段高い別の柱に移り再び修行を開始する。
両腕を無くした農夫の腕を復活させるという奇蹟を起こすシモンは民から崇めたて祀られるが、当人はそれを喜ばしくも疎ましくも思わず只管に祈り続ける。

そのストイックさ、神への信仰の深さはある種の盲信的な狂気を感じさせ、同胞や民から見ても過度な行いに思えてしまうほど。
「精神の高み」を求めてと言われても、ニュアンスは分かるが果たして到達点は何処なのだろうか?と。
柱の物理的な高さならば「バベルの塔」並みの労力と時間が必要だし、そこまで近付くには6年や8年では到底叶わない訳で。

「瞑想中に淫らな事で心を騒がせてはならぬ」と女に気を取られる修道士に対して忠告するシモン。
そんな彼に、悪魔は様々な者に姿形を変えて誘惑をし始める。
若く美しい純粋な少女、イエス・キリストの容姿をした女性、そして妖艶で悩ましい色香を放つ大人の女。
「北風と太陽」のような欲求との鬩ぎ合いが描かれて行くが、あちらの主人公は脇目も振らず一心に目的に向かうのに対して、こちらのシモンは結構心が揺らいでいる瞬間が見えて人間らしさが感じられた。

映画の舞台は砂漠のみであり何時何処の時代かも窺い知れないのだが、そんな古代的世界から現代的な世界へと時空間を飛び越える後半のブッ飛び具合にはおったまげた。
「悪魔の誘惑のような音楽」とも言われるロックとの結び付かせ方は強引にも思えるのだが、資金難で製作が途中で頓挫したという背景を鑑みると仕方が無いのかもしれない。
却ってその境界の曖昧さが天使と悪魔の表裏一体具合を表現しているとも言える。
OASIS

OASIS