つかれぐま

もののけ姫のつかれぐまのレビュー・感想・評価

もののけ姫(1997年製作の映画)
4.0
20/6/29@大泉#4

「ナウシカ」で問いかけた人間と自然の共生ーその語り直し。

絶対の主役ナウシカが作品を支配した「風の谷の・・」とは異なり、本作はアシタカ、サン、そしてエボシと皆主役級の扱いだ。音楽に例えれば、「ナウシカ」が一つの旋律だった(それでも十分胸を打つのだが)のに対して、本作は二つの旋律(サンとエボシ)に和音(アシタカ)も配された奥深さを見せてくれる。

宮崎駿の一貫したエコロジストとしての姿勢。これはサンが体現する「森」のイメージだ。そして同時に人類の「正しき科学技術」も礼賛する人だ。それは「ナウシカ」のメーヴェであり、「ラピュタ」の蒸気海賊船にも見られたが、本作のタタラは(そこで生まれる労働という産物も含めて)そういう人類賛歌の側面を体現している。エボシが非常に魅力的に描かれていることからも、そういう思想が伺える。

宮崎駿はアシタカに自分を投影し、森と人類の調和を試みる。命がけでサンを救うアシタカの動機が不思議に思え、唐突な「そなたは美しい」という呟きに違和感を感じるのは、テーマ(森と人類)と物語(サンとエボシ)がここから重なり始めるからだろう。

「アシタカのことは好きだ。でも人間のことは許せない」
虚構から現実に引き戻した上で、結論を提示するサンからの回答。「人の手で還したい」と苦闘したアシタカの想いも、サンに届かず。

サンとモロの<ねぐら>は、かつて人間の遺した巨石文明の再利用。(トトロの里山のように)共生の道はあるはずだ。そう信じたい観客に甘い顔を見せてはくれない。

「サンは森で、私はタタラで、共に生きよう」
アシタカの言葉にサンは応えない。この空虚さは、たしかにナウシカの着地を現実的に上書きする十分な説得力があった。

以上の「話の縦軸」には感動。
しかし、人間と自然ー両サイドの混乱という横軸の見せ方が散文的でごちゃごちゃとしており、終盤は物語に没入しきれなかった。混沌の後に結論を提示するという意図は分かるが、色々雑多なものを見せ過ぎの感が否めない。ハリウッド流の整理されたストーリーテリングに慣れてしまっているせいだろうか、本作が「映画という枠」に収まり切れなかった印象が残る。海外での評判が日本ほどではなかったのは、この辺が理由なのかも・・。

だが宮崎駿は、この次の作品で世界的名声を得ることになる。