ぐるぐるシュルツ

愛に関する短いフィルムのぐるぐるシュルツのレビュー・感想・評価

愛に関する短いフィルム(1988年製作の映画)
4.0
あなたは私を見ていたから。
あなたを通して私が見える。

〜〜〜

10時間にも及ぶ『デカローグ』から抜き出せれて、再編集された今作。
少年がビルの一室から、向かいのビルの一室に住む女性を覗く青年の話。

今回は、
窓の向こう側の部屋を
どうも届かない心の内部に重ね合わせて見ていた。

他人の心の中に入るのは、
とても難しいこと。
直接向き合って、触れ合う時
傷つき傷つけ合うことを避けては通れない。

そういう意味では、
少年トメクは直接触れることなくとも、
彼女の痛みや苦悩を思い続けることで
寄り添おうとしていたのかもしれない。

臆病だけれど、
想いは純粋なまでに「利他的」な域に留まる。

それが仮に辛くとも、
「利他的=愛」が彼の人生の拠り所になっていたとしたら……。

しかし、ついに耐えきれず徐々に彼女の生活に干渉しようとし出してしまう。嫉妬してしまう。
自分の存在を打ち明けてしまう。

つまり、
相手の内部へ、自ら入り始めてしまう。

そこには幸せや満足感や喜びがあるかもしれないけれど、
同時に、それ相当の代償も必要となる。
拒絶、争いがある。
騙して傷つけ合うことも
避けては通れない。
そうやって、
お互いが利己的であることを
受け止め合わなくてはならない。

そのとき、
「利他的=愛」という不安定で儚い状態は変化してしまう。

女には何も求めていないつもりでも、
自分が愛を向けていることを常に肯定してもらおうとしてしまう。
利己的になってしまう。

トメクにとっては、利己的になれば愛が失せるという恐れは受け入れがたいものだったのかもしれない。

それを裏付けるように、
相手の部屋に入って、
性的な行為(相手の内部へ入る)をすることへの異常なまでの嫌悪を示す。
(もちろん思春期特有の貞操への固執でもあるとは思うけれど)

そうした必然的不可避的挫折に対して、
トメクは自傷≒自己犠牲によって、「利他的=愛」を取り戻そうとする。

一方、マグダの方は、
私生活上、男を振り回して振り回せれて、
傷心しきっていて
トメクがもたらした「利他的=愛」の残響に対して、図らずも心惹かれてしまう。
もちろん、罪悪感や若さへの憧憬もあるだろうが、結果として、
心はトメクの方を向くことになる。

そうして最後に、
マグダは彼の部屋をもう一度訪れるが
彼に会話することも触れることも許されない。
眺めることしかできない。
その時、彼女自体の感情が、
トメクが抱き続けてきた「利他的=愛」とまさに重なるのである。

最後の望遠鏡を覗くシーンは素晴らしかった。
過去の自分と、
そこに寄り添おうとするトメクを思い描く。
三重の間接でもって、自らを覗く(望遠鏡を覗くトメクが想像した、自分の過去を想像する)。
そして何よりも、
その時彼女は瞳を閉じているのが、
心に刺さる。

妙に大人びているトメクが、
アイスクリーム・デートにオッケーもらった時、
元気に飛び跳ねるのが面白かった。
嬉しかったんだろうなぁ(笑)

そして度々すれ違う住人。
彼は誰?