愛に関する短いフィルムの作品情報・感想・評価

「愛に関する短いフィルム」に投稿された感想・評価

ただの気持ち悪いストーカーの話にならならいのがキェシロフスキの凄いところ。
愛してるって何?について考えさせられる。発するセリフも素晴らしいのだけど、セリフのない映像だけのシーンの間合いが本当に見事!ずっと観ていたい映像。特に最後は素晴らしい。
大勢の中でなぜか1人だけ視界に入ってきてしまう事がある。無意識に見てしまうことは人を好きになる始まり。目で追ううちに言葉を交わしたい、接触したいと思うようになる。そしてその欲求は決して最初から即物的な性愛ではない(おそらく殆どの場合は)

本作のトメクの‘愛’の始まり方はそれとは異なる。始まりが興味本位で始めた覗きだから。ある人を覗いて頻繁に見つめている内に好きになる。愛していると思うようになる。大勢の中から無意識にひとりを選び出すことが愛ならば、誰かを意識的に凝視することで生まれるのも愛なのだろう。

女「何故見ていたの」
トメク「愛してるから」

これは全く逆の会話も成り立つはず。

「なぜ愛するの」
「見ていたから」

葉隠の恋のようだ。恋い焦がれる気持ちを抑えてただ見つめる。トメクは何度も幼稚ないたずらで接触しようとするので厳密には葉隠の恋ではないが、その想いを秘めながら一年間も見つめ続けている。彼は未経験ながら潜在的に知っているのではないか、単なる肉体の結びつきが愛を終わらせてしまうことを。自分の純粋な愛が薄汚れてしまうことを。‘愛’を‘愛と感じられる大切なもの’と置き換えてもいい。

女の部屋での一件を境に視点が変わる。女がトメクを見つめる(探す)ようになる。トメクの視線はそれ以降描かれない。ここに他の覗き映画と異なる面白さがあり何ともいえない切なさがある。

覆水盆に帰らず。だから牛乳瓶を倒して牛乳がテーブルに流れてしまうと涙が溢れるのだ。


* * * * *


本作はTV作品『デカローグ』第6話の映画版(尺は1.5倍)であるが、ラストシーンが異なっている。本質的には同じだと思うけれど、映画版のラストの素晴らしさは感動的です*:.。.*
カラン

カランの感想・評価

5.0
キシェロフスキ監督は超弩級の方だということがわかりました。本作『愛に関する短いフィルム』は恋愛光学の話しです。

本作以前にも、恋愛光学に関してたくさん作品が作られてきました。例えばピエール・クロソフスキー(画家のバルテュスの兄)の『ディアーナの水浴』では絶対に見てはいけない女神の水浴を盗み見るために森に忍んだ男は鹿に変えられて、猟犬に食いちぎられて肉片に細分化されていくのですが、同時に、女神の裸を盗み見るという至高の享楽をえるのです。見てはいけないものを見るのはオルフェウスの神話以来、喪失を意味しましたね。ジャン・コクトーがこのテーマで映画を作っていたと思います。この種の「眼差しの中の愛」をテーマ化した映画で私が好きなのは、ジャック・オディアールの『リードマイリップス』です。スュルメレブルという原題は「お口で」くらいの意味ですから、見ることとエロスが絡みつきます。映画を観れば分かります。

さて、目が物を見ることができるのは、光の反射を視神経が受容するからです。したがって、光の反射が起こらないゼロ距離では視覚は機能しません。ここに視覚に対する不信が芽生えるのです。視覚は距離がなければ物を知ることができない。離れたところから物の表面をなぞることしかできない視覚は、例えば触覚ほどには感動を伝えることはできない (moved/touchedといった感動を表す表現は触覚系の語彙である。日本語でも「琴線に、ふれ、る」などという) のだ。つまり、視覚は本質的でないというわけだ。だから、この映画の窃視も、罪や若気の至りだとは言わないとしても、本質的な愛であるとは誰も思わない。そういうわけで、私たちはこの映画の女と同様に「愛してるから」を繰り返す青年の想いを、「ほろ苦い」気持ちにならずには受け入れられず、この映画をせいぜい青春童貞アートムービーと言ってみる以外に受容の術を知らないのだ。そして取り逃がしてしまうのだ、この愛の喜びを。本質的な愛の喜びを。

そういう私たちの無理解さは、アイスクリームデートの後で青年が初めて女の部屋に招かれたシークエンスによく表れている。

窃視をして何を見たのか?全て、を。全て?なぜ見たのか?自分でやるためか?はじめは。でも、そのうちやめた。では、見ることに何の意味があるのか?何も。意味など、何も、ない。女には恋愛光学が分からない。ないとはどういうことか?何もないのに、なぜ見るのか?女の部屋でのシークエンスを追跡しよう。

シャワーを浴びた女が、ソファに座った19才の青年の前に、ブラウスだけの姿で座る。女というものの性について、そして自分の現在の愛液の状態について教える。女は自分のももに青年の手を導く。青年が女のももの奥に手を滑らせると、青年は震え、それから悲痛な声を出す。

「いった? これが世間でいう愛の正体よ。」と女。やはり、女には眼差しの喜びが分からない。だから青年は駆けだし、事件が起きる。

この後の悲劇と奇跡については、映画をぜひとも見てほしい。

一つだけ付け足しておく。最後のシークエンスで、青年と暮らしている老婆が、青年に《触れ》ようとする女を制止する。この制止は、もちろん老婆が「孤独」で、嫉妬から他の女に触れて欲しくないと思ったのだと解釈すべきでない。今述べてきた恋愛光学に基づいて解釈すべきだ。キシェロフスキ監督は、間違いない、光学の達人である。映画監督としてこれほどの達人を『インランドエンパイア』を撮ったデビッド・リンチ以外に、私は残念ながら知らない。
324

324の感想・評価

4.0
覗かれていた女が逆に関与し始める中盤からもっぱら面白くなる。そこにあるのに表現できないだけ的な、真逆なアプローチ。変わり続ける関係が楽しい。
俺はこういう映画が撮りたかったんだpart2

童貞が女の部屋を望遠鏡で覗き見してる時点で最高。パトリスルコントの仕立て屋の恋を思い出した。
何回もセックスを覗き見しちゃっては頭を抱えてるくせに、「アイスクリーム食べに行きませんか」って誘っちゃうのがウケるし、OKされてミルクの台車振り回すのも笑った。
隠せばいいのに、何もかも正直に全部言っちゃうのもわかる。

童貞は好きな女とセックスしたいのではなく、同化したいだけ。好きな女そのものになって、そこから見える景色や心情が知りたいんだ。
そんなことを思い出して、ラストシーンにすごいカタルシスを感じた。
1つの部屋なのに、3つ部屋があるように見えるのがおもしろかったな
心ってのも1つじゃなくて複雑なんだよね。

愛の1つに相手になにも求めないことがあるかもしれないけど、一緒にアイスを食べに行く時間はほしいよね。
KojiOnishi

KojiOnishiの感想・評価

4.7
心鷲掴みにされました。(笑)
セリフは最小限で、あとはキャストの表情や仕草でムーディーに物語が動いていく感じは、映画素人の僕には衝撃だったし、最高やった。
あとはもう、、言葉に出来ない良さで満たされる映画でした、トホホ、、、
デカローグ以降のキェシロフスキは、それ以前には欠けていた映画的魅力を別人の如く存分に作品に盛り込んでいるから、どんな心境の変化があったのかと思うもののやはり素晴らしい。

内容は一言で表すとストーカーの物語でしかないのだけど、ヒッチコックの名作である裏窓がそうであったように覗く者と覗かれる者という関係はまさに映画的なテーマで、ストーカーの主人公を通して映画的行為の哲学に思いを馳せられるのが面白い。

おそらく参考にしたであろう上記の裏窓の他にも他作品のオマージュが散見され、わかりやすいのが同じポーランド人監督であるポランスキーの水の中のナイフやウェルズの市民ケーンのオマージュなのだけど、そういうオマージュは以前の作品には見られなかったもので、ここからも彼の心境の変化が窺えるようだ。

デカローグ全体がそうであるようにこの作品もテーマや描かれていることはシンプルであるが、それ故に演出や照明等表現に趣向が凝らされていて、結果映画として目を見張るものとなっているのが素晴らしい。

しかしこの映画のテーマ曲、見ている間似たフレーズの曲が何だったのか思い出せす非常にやきもきしたので、思い出したらコメントで言及してやろうと考えている。
メモ帳

メモ帳の感想・評価

4.3

このレビューはネタバレを含みます

作品の舞台装置と、物語の構造が素晴らしいです。
女性の住んでいる部屋が、奥行きのない横長の部屋なのです。まさに演劇の舞台上みたいな場所です(反して、主人公が覗きを行なっている部屋は、暗くて正方形である)。そして、この女性の部屋には窓ガラスが3つあります。それによって1つの部屋なのに、あたかも3つ部屋があるように見えます。右の窓からはベッドが見え、真ん中の窓からは創作中の絵画が見え、左の窓からは玄関とキッチンが見えます。これはそれぞれ、この女性の欲望(右の窓)、心の奥(真ん中の窓)、他人に見せるための表向きの自分(左の窓)ということなのではないでしょうか。

二人が置かれた反モラルな状況とは反対に、どんどんプラトニックな関係で結びついていきます。
右の窓から見える女性の部屋には赤いベッドシーツ、赤い椅子、赤い電話など、赤色(さらに言うと、カフェのシーンで女性が頼むのも赤ワインであり、創作している絵画も赤を基調とした絵である)で溢れているのですが、女性が自分が覗かれている事に気づくと、主人公からもっと見えやすいようにベッドの位置を変えるわけです。この時に赤いベッドシーツをバサっと取って白くします。これは、その前に主人公が女性に接触を試みた時に渡したミルクの白でもあり、この後の二人が辿る関係を表しているのではないでしょうか。そして主人公が手首を切り入院した後のシーンでは、白いネグリジェを着て白いベッドの上で主人公が部屋に戻ってくるのを待つのです。
ここからこの映画の主人公が女性の方へと移り、主人公の男の事を調べ始め、反対に男の部屋を覗き始めるという反転を経て、ようやく本当に交差するわけです。
【付記】『デカローグ 』(全十戒)

第1話 「運命に関する物語」/第2話 「選択に関する物語」/第3話 「クリスマスイヴに関する物語」/第4話 「父と娘に関する物語」/第5話 「殺人に関する物語」/第6話 「愛に関する物語」/第7話 「告白に関する物語」/第8話 「過去に関する物語」/第9話 「孤独に関する物語」/第10話 「希望に関する物語」

「第5話」と表題の「第6話」が劇場映画用に再編集された。
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