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ミュンヘンのnoteのレビュー・感想・評価

ミュンヘン(2005年製作の映画)
3.9
1972年9月5日、ミュンヘンオリンピックの開催中、パレスチナの過激派組織「黒い九月」のメンバー8名が、オリンピック村のイスラエル選手団宿舎に侵入、抵抗した選手ら2人を殺害し、残る9人を人質に取る。イスラエル側はテロリストの犯行とみなし、復讐を計画する。モサドの暗殺チームのリーダーに任命されたアヴナーは、11人の標的を次々に消していくが……。

報復のために暗殺を容認するという考え方が、イスラエル政府や軍、モサド(イスラエルの情報機関)のなかに存在する怖さ。

ミュンヘンオリンピック選手殺害事件に関わった重要人物を次々に暗殺しても、新たな指導者が出てきて、イスラエルへの報復活動を実行される。
それを受け、イスラエルがさらに次の報復措置をとる。
劇中は憎しみと恐怖の連鎖が続く。
銃撃戦や爆破シーンの臨場感は淡々としていながらも、迫力とリアリティがある。
ついには暗殺リストに載っていない人間を殺してしまったり、一般人に被害が及ぶ。

これはもう「戦争」としか言いようがない。
やがて標的を7人殺害した時点で、アヴナーは任務を解かれて妻子の待つニューヨークへ戻る。
だが暗殺の記憶の苦しみや、誰かに追われる恐怖を抱えながら生きていくというエンディング…。

スピルバーグ監督は「シンドラーのリスト」も作ってるし、彼自身ユダヤ人なのだから、イスラエル寄りか?と思っていたが、この映画ではどちらも肯定してはいない。

スピルバーグ監督は決してイスラエルの正義を訴えるわけではなく、一歩引いた視点でイスラエルの暗殺チームのリーダーの精神的苦悩を描いている。
闘争の当事者になった時、その虚しさに人は初めて気づく。
テロリストも暗殺者も人間であり苦悩する、というのは分かる。

イスラエルとパレスチナの血で血を洗う闘争の根の深さは、日本人の自分には勉強不足であることは認める。

スピルバーグ監督は当事者のユダヤ人だけに、相当な覚悟を持ってイスラエルとパレスチナの争いの虚しさを訴えようとしたのも分かる。

この作品はひたすら重い。
真の平和とは何か?を真面目に考えるきっかけになる作品であり、考えて欲しいという監督の願いも分かる。

もちろんその答えが簡単に導き出せるものではないことは分かっているのだが、事件が解決を見ず、何の提言も無しに終わるというのは、やはり残念でならない。

名匠スピルバーグ監督だからこそ、この負の連鎖を止める何かしらヒントが欲しかったというのが、個人的な感想である。
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