観てよかったな。と言ってもドキュメンタリーとしておもしろかったとか言うことではなく、自分の疑問に答えをくれたところがあったという意味で。
見沢知廉というと暴走族→新左翼(三里塚闘争参加)→新右翼(スパイ疑惑の同志殺害)→獄中12年→作家(天皇ごっこ)という凄まじい経歴とその道程と思想性を特異な形で練り込んだ小説、当時ロストプラスワンなんかもに出ていたせいで、真っ当な活動家、思想家と言うよりアウトロー系サブカル文化人のイメージが強い。著作やトークライブでの発言を見ると思想家/活動家として自分を位置付けてるものが多く、とても違和感があった。実際、活動家として心酔してる人も周りに居て、その人に見沢のここが凄いと言われてもまったくピンと来なかった。
てか、色々よく知ってておもしろく打ち出せる人だけど、それだけなんじゃないの?的な?
その見方か間違ってなかったなと思えたのが、蜷川正大の発言。
『天皇ごっご』なんてタイトルを野村秋介が出したら民族派に激震が走るし、抗議される。でも、見沢くんは誰にも抗議されなかった。民族派内ではそれだけ軽い存在だと言うこと。
彼が起こした殺人も民族派内では思想犯として捉えることはできない。野村秋介の経団連事件と同じ系譜で語れない。という主旨の発言。
本当にこれが全てな気がした。だいだい殺人にしても本当にスパイだったのかもわからないらしいし、そもそもスパイに張りつかれるほど重要人物だったとも思えない。全て本人がそういう自分で有りたいという欲求が産み出した妄想なんじゃないかと思った笑
この殺人を犯した後、オロついて共犯者達と鈴木邦男のとこに相談に行って自首か逃亡かを決めたり、本気のなさと言うかポーザー感が見えちゃうんだよな笑
おまけに服役中に野村秋介に減刑依頼を頼んで「主体的に犯した罪で減刑を望むなんて思想家としてみっともない」と窘められるエピソードが決定的で、思想家や活動家でいたい憧れだけでポーズをなぞってるうちに取り返しのつかないことになってしまった、単なる思想オタクなんだと思った。だからまったく見沢知廉の思想の言葉は自分には響かなかったんだと思った。
そもそも日本の右翼なんて左翼以上にフェイクだからな。野村秋介と赤尾敏ぐらいでしょ?気概があったのって。
そんな思想家としては残念な見沢知廉だけど、作家としてはおもしろい存在だったと思う。
完全に私小説ではないけど自身の体験、意識しか書けない作風だから抱えてた挫折感、特に思想犯と言い張ってはいるが、実は未熟さからの故殺に過ぎないという自分の殺人に対する後悔とそれを認めたら自己崩壊するジレンマがユーモラスでありながら閉塞感も感じる特異な作風に繋がっている。罪の意識から逃れるために文学と思想に没入しながら根の正直さから逆に絡め取られる。本人的には鉄の意志を持つ活動家なんだろうけど本質は繊細で自意識の揺れを正直に吐き出す作家なんだよな。このアンビバレントさこそが見沢知廉の魅力だと思う。バロウズと似てるな。誤って妻を射殺したバロウズもそ悔恨の気持ちから逃れるように文学とドラッグに没頭にした。
2005年の不慮の死が事故死か自殺かはわからない。本作に出てくる生前の見沢知廉を知る人でも見解は分かれてる。
おれは自殺だと思う。殺人の罪悪感から逃れられなくなったのだと思う。前年に錯乱して両手の小指をチーズナイフで切り落とすし騒動を起こしているし。