ふき

ヴァン・ヘルシングVSスペースドラキュラのふきのレビュー・感想・評価

1.1
原作小説『吸血鬼ドラキュラ』の、ドラキュラがトランシルバニアからロンドンへ移動する船旅を、外宇宙を旅する宇宙船に置き換えて、主人公チームをぶつけた(と思われる)作品。
もっとハッキリ言えば、「ドラキュラで『エイリアン』をやってみました」だ。

まず当然のこととして、ジャケットに書かれている「メカドラキュラ」は登場しないし、タイトルの「ヴァン・ヘルシングVSスペースドラキュラ」も大嘘、キャッチコピーの「宇宙を征するのは、どっちだ?」も内容とあっていない。これは本作を買った日本の配給会社に文句を言うべきことなので、不問。

脚本は低予算映画の典型で、「太陽の届かない宇宙×ドラキュラ」というアイディアをお話に煮詰められていない。舞台は海上でも宇宙船でも孤島の洋館でも関係ないし、モンスターはゾンビでも伝染病を有するネズミでも成立する。
『吸血鬼ノスフェラトゥ』の吸血鬼の名前である「オルロック」をドラキュラに偽名として名乗らせたり、登場人物に「ミーナ」を配したりしているが、単なる目配せでお話に絡んではいない。
状況を説明したり進展させたりする会話に、いちいち「口喧嘩に見えかねないワル同士の軽妙な軽口の応酬」の失敗作が挟み込まれているのも、「クソ映画あるある」だ。というか、会話の多くが聞くに堪えないレベルの下ネタと差別発言で、かつ、進行に応じて本当に対立してくるため、「軽妙な軽口っていうか、こいつら本当に反目してたんじゃねーの?」という気がしてくる。そうかもしれないが、意図が掴みかねる。

しかし、全七人+αの登場人物もそこそこ立っているし、お話の筋や○○オチへの論理的道筋もできているので、見ていて苦痛なほどつまらないわけでもない。
「西暦三〇〇〇年ともなると、こんな無能のバカ集団でも宇宙旅行が許されるんだなあ」とか、「まだVHSを使ってるのか、物持ちがいいなあ」とか、そういうレベルでは楽しめる。○○オチも潔いと言えば潔いだろう。
撮影も凡百の低予算映画に比べればしっかりしているので、七〇年代のB級SF映画をブラウン管テレビで見ているような味わいが感じられる。
この手のB級ドラキュラものとしては、ドラキュラの役者や衣装は悪くない。大して登場しない上に腕をちぎられてギャーギャー言うだけの役割しかないものの、〇・一点の加点要素にはなるだろう。
そういった、はなから“クソ映画を見る”と考えて臨めば、倒錯した楽しみ方を見つけられないことはない、程度には楽しめる作品だろう。

ところで、一九七四年製作の『処女の生血』でズッコケドラキュラを演じたウド・キア氏、本作では結局画面に向かって独り言を言い続けるだけだった。絶対吸血鬼として出てくると思ったのに。
てか、吸血鬼化したっぽい元々の乗組員って、どこいったんだ? ……まあいいか。
ふき

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