ぴのした

シュガー・ラッシュのぴのしたのレビュー・感想・評価

シュガー・ラッシュ(2012年製作の映画)
4.0
やられた!タイトルと表紙になんか駄作感があったから見てなかったけど、むっちゃいいやんこれ。ズートピアと同じ監督らしい。納得のクオリティ。

この世界のゲームセンターでは、トイストーリーのように閉店時間になるとそれぞれのゲームの中のキャラクターたちが画面の中を自由に動き回る。フェリックスというゲームの悪役ラルフは、自分が悪役だからという理由でみんなから冷たくされる現状に納得できず、ある日ついに自分のゲームから抜け出してしまうのだが…。

まず何より世界設定がバツグンに面白い。キャラクターたちは画面から出るわけじゃなく、あくまで電子世界の中を動き回るんだけど、ゲームならではの細かい世界設定がツボ。

タコ足コンセントがそれぞれのゲームを移動する中間の駅になっていたり、ドット絵のキャラクターたちの動きがカクカクしていたり、移動とか攻撃の時の音がそのままゲームの効果音だったり、解像度が昔のゲームと今のゲームとで違っていたり。

クッパとかソニックとかストリートファイターとか実際にあるゲームからキャラクターが登場するのも、ゲーム好きにとってはたまらないかも。でもそんな知らなくても十分楽しめるので心配は要らない。

伏線の張り方もむちゃくちゃ巧妙で、「これも後で出てくるし、これも結局そういう風に使うんかい!」みたいな感じで、余すところなくシーン1つ1つを伏線として回収してくる。圧巻のディズニープロット。

ただ、「悪役でもいい。あの子を救えるなら(あの子にとってのヒーローになれるなら)」みたいなテーマはどうなのか。

ちょっと難しい話に聞こえるもしれないけど、階級社会論的にこの話を読み解いてみたのでできれば最後まで読んでほしい。見方が変わると思う。

結局、ラルフは与えられた汚れ仕事に甘んじる(階級上昇は起こらない)んだけど、ヴァネロペは夢を叶えてヒーローになる(階級上昇を達成する)。

ラルフが階級上昇を起こせないのは、正規の出世ルートを経ずに権力から権威を盗み出した(塔に登って黄金を盗み出す逸脱行為)バチが当たったと見ることができる。

一方、ヴァネロペが階級上昇を起こせたのは、ラルフからメダルは奪ったものの、それを使って彼女がしたのは、レースの舞台に登り、(機会の平等を手に入れ)、正規のルートで成果を出したからだ。

つまり、むっちゃ夢物語のように見えるこのストーリーが言おうとしているのは、実はむっちゃ現実主義的で権威主義的で保守的な2つのテーマ。

「正規ルートで努力したら成功者になれる」(ヴァネロペ)、「正規ルートで努力しないのならば、与えられた役割を精一杯頑張るしかない」(ラルフ)、ということ。

それと同じ意味で、ヴァネロペが最後に「これからは大統領制にするわ!」っていうことにもちゃんとした意味があって、王政っていう超保守的な政治形態よりはまだ革新的な大統領制は「努力すれば誰でも階級を変えられる社会」であるところのアメリカをたたえているように見える。

耳障りよく言えば「努力すれば夢叶う社会(アメリカン・ドリーム)」なんだけど、よく見るとすごく不公平じゃない?

だってフェリックスのアパートの住民は何もしないモブのくせに初めから終わりまでラルフよりいい暮らしできるわけで、ヴァネロペが階級上昇できるのも、正規のルートで頑張ったからというだけでは終われない。実は王女でしたという血筋による権威の後押しと、ゲームバグによるチート(=生まれ持った才能)があってこそなのだ。

努力や夢の素晴らしさ見せるようで実際は、生まれ持った環境や才能、血筋といった権威に頼らなければ成功できないアメリカ社会の闇を、表面上は甘〜いお菓子の国だけど、実は地下では醜い虫に食い荒らされていたシュガーラッシュになぞられえて皮肉っていると思うのは考えすぎなのか。

そのアメリカ社会が隠し持った「虫に食われた部分」をあからさまに描いたのが、この監督がのちに出すズートピア…だったとしたら最後に面白いんだけど。