備忘のために
あれ、ベロッキオってこんな絵を撮ってたっけ。確認してみると撮影監督はダニエーレ・チプリー(1962 - )。なんとロベルタ・トッレの『Tano da morire』や『Sud Side Stori 』を撮った人ではないか。
ベロッキオとは『愛の勝利を ムッソリーニを愛した女(Vincere)』で仕事をしているみたいだけど、このときは気がつかなかった。でも、この映画のカメラは抜群によい。色もよいし、スピード感がある。ベロッキオが若返った感じがする。
演技人はびっくりするくらい豪華。トーニ・セルヴィッロとアルバ・ロルヴァルケルの父と娘ももちろんだけど、ピエル・ジョルジョ・ベッロッキオ(監督の息子さんね)とマヤ・サンサのやりとりは見事だったな。特にサンサのあの瞳の演技には説得力があった。そしてイザベル・ユペールの冷たく熱い演技もすごい。『エル』が未見なので宿題だな。
ベロッキオの映画はすべてそうなんだけど、緻密な心理描写の背景には、きっちりと時代が写し取られている。この場合は、エルアーナ・エングラーロの尊厳死問題がある。2009年の2月、家族の要望で植物状態で17年もすごしてきたエルアーナの延命措置が停止されるのだけど、このときイタリアでは世論が真っ二つに別れていた。
カトリックの影響の強いイタリアだから、尊厳死には強い抵抗がある。しかしエルアーナの家族は、まったく回復の見込みのない彼女の延命措置の停止を求め、長年にわたって裁判闘争を続けていた。エルアーナの延命措置が憲法第32条第2項の「強制的保健措置の禁止」を侵害するとして、その停止を訴えていたのだ。
ここに当時の首相だったシルヴィオ・ベルルスコーニの動きが絡んでくる。2008年、イタリアの最高裁判所にあたる破棄院の決定で、エルアーナの延命措置停止の訴えが認められたのだが、ベルルスコーニはカトリック勢力の支持を求めて、その裁判所の決定をさらに停止する暫定措置法を通そうとしたのだ。
その間にエルアーナは、ようやく延命措置の停止をほどこしてくれる病院をウーディネに見つける。政界では、エルアーナの延命措置の停止を撤回させる暫定法が大急ぎで可決されようとしていたが、最後の最後でナポリターノ大統領が署名を拒否。さらに審議が進められるなか、延命措置を停止されたエルアーナは、予想よりも早く息を引き取ることになる。
ベロッキオの映画は、そんなイタリア史の一瞬に息づくストーリーを、息もつかせぬ生々しさで捉える。その正気を超える生々しさを、ベロッキオ Bellocchio の「見事な(bello)目 (occhio)」は、ただえぐりだすだけではない。何度もえぐられた傷口が、それでも少しずつふさがってゆく、そんな瞬間も決して逃すことがない。
そう、それだからぼくは、何回も湧き上がる感情を抑えることができなくなってしまったのだ。