昨日「告白小説、その結末」をレビューしたので、今日はそのつながりで本作。
ポランスキーは、「不安」を映像化する作家で、しかも彼の描く不安は常にニューロティックなもの。
昨日のレビューでは、ポランスキー作品をものすごく大雑把に「水の中のナイフ」チームと、「反撥」チームに分類しました。
「水の中のナイフ」チームというのは、他者との関係性が捻じれたり崩れたり逆転したりするチーム。
で、「反撥」チームは、自分自身の精神的一貫性が保てなくなっていくチームね。
本作は、「水の中のナイフ」チームなんだけれど、まさにそのデビュー作とそっくりなシチュエーションを舞台の規模を大きくしてやりなおしました、というような作品。
そこそこ古い作品なので、今さら敢えて論評する新しいネタもないんだけれど、ひとつ書くなら、ピーター・コヨーテが使っていた「IBM PC」とPC-DOSで動くワープロソフトが懐かしいですね。1992年ならWindows3.1があったけど、日本の我々も含めてまだまだDOSが主流でした。
あのワープロソフトは何かな?
Wordstar? WordPerfect?
懐かしいって書いたけど、英文用のワープロソフトは使ったことがないから、よくわからない。
そう。我々日本人はその頃は「一太郎」や「松」を使ってた。
私はプログラムを書いてたので、「VZ Editor」がメインだったけど。
わざわざ書いたけど、この段落、実に不要だわ!
タイトルについて言及しとこ。
ググってもそれらしい記述が見つからなかったので、私が第一発見者だったら嬉しいから。
原題は"Bitter Moon"で、これは甘い月(Honeymoon)との対比なわけですよね。
劇中では、sweetとsoarの2語での対比もありました。
じゃあ、邦題の「赤い航路」って何なの? って思うじゃないですか。
船が舞台なんで「航路」はわかるけど、「赤い」って何さ? って。
これって、やっぱり江戸川乱歩の「赤い部屋」から採ってるんじゃないですか?
「ある人物が不道徳極まる体験を語る。それにのめり込んでゆく狂言回したる主人公。そして惨劇の結末」
偶然なんだろうけど、物語の構造がまったく同じなんですよね。
補足すると、乱歩の原作は、実質的な検閲があった時代の小説なので、ラストのラストは「なんちゃって」で終わる。
だから、もっと近いのは乱歩先生のこの短篇を落語に翻案した、柳家喬太郎師匠の「赤い部屋」。
もっとも、喬太郎版「赤い部屋」は、「赤い航路」の公開より随分後に演じられ始めたものなんだが、大乱歩の傑作短篇は何しろ大正時代から読み継がれてる作品だし、「大人向け乱歩」としては相当メジャーな作品だから、邦題の担当者が本作の物語構造にピンと来て、倣ったんじゃないかしら。
と、まあ、書き添えられるのは、それくらいかな。
あ、もう一個だけ。
本作には、ピーター・コヨーテが「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」観るシーンがありましたね。
アマポーラの演奏シーン。
本作が公開された1992年時点では、まさか「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」という映画が後に製作されて、エマニュエル・セニエの前の奥さんの惨劇が映画化されるなんて、ポランスキーは思っちゃいなかっただろうし、タランティーノですら思ってなかったんだろうね。