唯

わたしはロランスの唯のレビュー・感想・評価

わたしはロランス(2012年製作の映画)
4.5
私達は、性から逃れられない。

ロランスの、自己を否定し続けて来た人生や、カミングアウトに於ける不安・恐怖・葛藤・プレッシャー・期待を思うと、それだけで押し潰されそうになる。
自らのアイデンティティ獲得の為に闘う姿には、彼の強さと抑え切れない衝動とを見る。
しかしながら、自分に正直になっただけで罪なことは一つも無いのに、結果として周囲を裏切り傷付けることになってしまう。
パートナーのフレッドは、愛している人と愛している自分とそれまでの二人の時間の全てを否定された気になってしまう。
それでも、偽りのない本当のロランスを受け容れる選択をした彼女もまた強い人間で、彼を尊重し応援し見守る強い愛は、母のそれそのもの。
ロランスが自由になった分、それを受け容れると決めた分、フレッドは強さを求められてしまうということなのだが。
あらゆる犠牲を払いながら、どうしても彼を嫌いになれず愛してしまう辛さを抱え、常に目を潤ませるフレッド。
自由に生きるには、圧倒的に強さが要るし、それは一人では得られないものなのだ。
だからこそ、本質を見て愛してくれる相手が一人でも居ることが、どれだけ人を支えるか。
愛する努力を続けたフレッドが結局折れてしまったのは、ロランスを真に受け容れられない自分を受け容れたくなかったのだと思う。
それに、恋愛はタイミングとはよく言ったもので、二人の変わらない未来を夢見ている時、相手は変化を遂げていたり、相手がこちらを求めている時、自分はもっと先を歩いていたりする。
人と人との歩調が合うなんて、まさに奇跡としか言い様がない。
本当に好きならば結ばれるはずだと信じたいが、本当に好きだからこそ叶わないものもあるのかもしれない。

LGBTについては昨今の学校教育でも取り上げるらしいが、大概の場合、大人は言ってることとやってることが違う。
自らが手本となり身を以て子供達に教えるべきなのに、マイノリティーに対する世間の風当たりは未だ厳しい。

歩み寄る努力を何一つせず、夫に怯えるだけの母は酷い親だが、ロランスのカミングアウトが母を解放したとも言える。

シャンソンとクラシック音楽とに彩られた象徴が強烈で、その音楽や映像は美術作品の様である。

ラストがまた秀逸過ぎる。
唯