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ノスタルジアのodamakinyanのレビュー・感想・評価

ノスタルジア(1983年製作の映画)
4.5
この映画は私の若い頃一度劇場で拝見しました。今回アマプラで期間限定で来ていたのでまた再視聴しました。以前見た時は予備知識も少なく語学もしていなかったので、途中で寝ていたと思いますが、今回は何回かに分けてあまり寝ずに見ることができました。1983年製作ですから、その当時まさに封切りで見ていたことになります。

今回見ていて気付いたのは、主人公とその愛人らしい女性はロシア語とイタリア語の両方が話せて、ロシア語で話す時は私的な内容の場合が多いということでした。あまり大筋ではないのですが、主人公の男性の友人の音楽家が自殺した話をしていた時はロシア語、また最後の方で主人公がイタリア人の女の子のアンジェリーナに廃坑で話しかける場面はロシア語です。アンジェリーナは天使の意味で、物語の随所に天使のモチーフや幻視の映像がちりばめられています。そしてそれは最初に礼拝場面で出てきた聖母マリアのミサからつながって、母なる存在への思慕になっています。主人公は最後死んでしまっていると思うのですが、その場面でも回想場面の母親と似た女性が大写しになります。それらはノスタルジアという故郷を思う気持ちと一体になっており、最終場面で大きな聖堂の廃墟の中にベックリンの死の島の絵のように、主人公のロシアの故郷の家がミニチュアのようにおさまっているのは、そのことを示していると思います。ベックリンの死の島の絵ではラフマニノフが交響詩を作曲していますから、この映画で西側に亡命してしまったタルコフスキーも やはり亡命したラフマニノフに自身を重ねているのかもしれません。この場面にはロシア民謡のような歌が流れますが、少し日本の木槍歌と似ていると思いました。というのも、主人公がろうそくの火を消さないように温泉の中を歩くのは、ちょうど日本の大晦日の行事である「おけらまいり」と非常に似ていると思ったからです。神社のお燈明から移した火のついた縄を消さないように持ち帰り、台所のかまどに移す行事です。もしかしたら関係しているのかもしれません。惑星ソラリスでも東京の首都高速が出てきましたからね。

こういった土着的な部分と対局的に描かれているのが、都会的な女性の愛人の存在であり、またラストでその街中で演説して火だるまになる人の描写です。この人は少し気がおかしい人で、住居も廃墟で以前のタルコフスキーの映画のストーカーのようなところに住んでいるのですが、銅像の上で火をつけるあたり、やはり否定的な感じで描かれているのではないかと思いました。女性の愛人は頭にムカデが落ちてきて気が狂いそうになると主人公にどなりましたが、これなどは田舎暮らしに対する否定的な見方ということでしょう。しかしこの女性の気持ちもわかりましたから、単に一面的に故郷礼賛ではない、いろいろな作り手の思いが重ねられた作品であるということです。

最後になりましたが、もちろん映像の詩人の作品ですから、環境ビデオみたいな美しい映像には酔いしれました。そして聖母のおなかから飛び出してくる小鳥たち、もちろんヒッチコックの鳥を思い出しましたです。二時間5分。
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