乙郎さん

サッドティーの乙郎さんのネタバレレビュー・内容・結末

サッドティー(2013年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

2014/12/21@G-shelter

 日本のインディーズ映画にはある種のジャンル映画がある。それは「低予算の会話劇で日常の恋愛における痛いところを突いてくる」映画。
 僕はこれを観たときに『ふゆの獣』という映画を連想した。その映画は、浮気男とそれを取り巻く人物との関係性をジョン・カサヴェテス風の会話劇で描くといったもの。ソフト化されていないのが残念だが、傑作なので是非機会があれば観てほしいと思います。
 その映画のハイライトは浮気男の逆ギレ。観ていて苛立ってくるのは事実なんだけど、「ああ、こいつ、絶対何を言っても考え変えないわ―」と思ってしまい、言い返す言葉が思い浮かばない。スクリーンの前であれほど悔しい思いをしたことは他にないかもしれない。
 ハイ!『サッドティー』にも似たような場面出てきますね。僕が思ったのは、これはビヨンド『ふゆの獣』なのかもしれないということです。

 実際に『ふゆの獣』と『サッドティー』は人物配置とかかなり似ている。
 主人公柏木が浮気をしていて、しかもそのことを自己正当化しているところなど、特に似ている。こういった人物は、他にも『生きてるものはいないのか』とか『恋の渦』(國武綾はこちらにも出演)にも出てきた。性欲が薄そうなのになぜか女性を切らさないような、DQN的印象が少ない男性。30年生きてきたがこういった男性にはとくとお目にかかったことはないけれど、東京にはよくいるのだろうか。
 それで、構造としては、「他者の気持ちを考えられないが、異性にとっては魅力のある存在」と「他者の気持ちは考えられるけど、異性にとって魅力のない存在」が出会った時、はたしてどうなる、というもの。僕は明らかに後者なので、非常に居心地の悪い感覚だった。
 この居心地の悪さは演出にも顕著で、例えば柏木が浮気相手の部屋で「富士山」という曲を大音量で聴くシーンがあるけど、あそこ、隣の人とかが怒鳴り込んでこないかとずっと座りの悪い思いをしていた。そもそも柏木のあのヘアスタイル自体、観ていて不安定な気持ちになる。
 それで、確かにこの映画をとおして前者の存在はある程度断罪されるわけですね。
 けれども、じゃあ、後者が女性を幸せにできるかっていうと、そんなことはない。
 そもそも、人畜無害なことと他者の気持ちを考えられるということは等価ではない。要は「独りよがり」ってことだし!
 だからこの映画では、とかく「純情」と言われがちな男性のある種の感情は徹底して蹴飛ばされ、かと言って非「純情」にも救いがやってくるとは限らない、そういった袋小路に追い込まれる。
 けれども、その袋小路は海岸なんですね。僕は仲間同士で車に乗り込んで海を目指すというのは、それだけで青春映画としては500,000,000点が着くと考えているのだけれども、その場所設定がこの映画にひとつの「出口」を与えている気がするんですね。そこが『恋の渦』に比べて、積極的に支持したい気持ちになるところなのかもしれない。
 それで、こうも考えるんですね。恋愛においてどっちに向かったってダメなら、自分にやりたいようにやるしかないじゃないかって。それが、どの可能性も潰しているってことそれ自体が、救いなのかもしれない。
乙郎さん

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