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チョコレートドーナツのmireiのレビュー・感想・評価

チョコレートドーナツ(2012年製作の映画)
4.0
※以前課題として提出したものなので引用禁止です


「チョコレートドーナツ」


2012年アメリカ合衆国にて上映された、トラヴィス·ファインによるドラマ映画(愛、友情、夢、希望、家族愛、葛藤、罪悪感などの人間味を焦点において描かれている映画)だ。

トラヴィス·ファインといえば「チャイルドプレイ3」が個人的に代表作だと言える、その他にも精神病と戦う複数の少女達の人生を描いた映画である「17歳のカルテ」が存在し、この作品では出演者であるアンジェリーナ・ジョリーがアカデミー助演女優賞を受賞している。

この監督は、心に通じる作品を好み「生きる事」において強いメッセージ性がある物を生み出す傾向がある。

今回この「チョコレートドーナツ」も様々な壁を心の中で隔てている子供や大人の一生について描かれている。この映画の日本版のキャッチコピーは「僕達は忘れない、ぽっかりと空いた心の穴が愛で充たされた日々」、海外での映画名は「チョコレートドーナツ」ではなく「Any day now」(和訳するといつの日かになる)であり、「チョコレートドーナツ」とは作中ではダウン症の男の子が好物と言っていたものになる。(夕食を食べない彼に好物を尋ねるとチョコレートドーナツと答えるシーンが35分頃にある)

主な出演者にはゲイであるルディ·ドナテロ役のアラン·カミング(X-MANや007に出演、トニー賞受賞暦有り)、検察官であるポール·フラガー役のギャレット·ディラハント(ドラマのX-ファイルが個人的に好きで幼少期によく見ていた)、ダウン症であるマルコ·ディレオン役のアイザック·レイヴァ(彼は現にダウン症であり、幼少期に見たディズニーチャンネルのハイスクールミュージカルという作品に触れ感化され役者の道を目指した、本作を演じる時彼は13歳であった)


(私なりに説くあらすじ)


1979年代、アメリカ合衆国カルフォルニアが舞台となっている。

ショーパブで働いているゲイのルディ·ドナテロはいつもの様にショーにてダンスを観客に披露していたある日の事、観客の中にいる1人の男性に恋をする。彼は地方検察官であるポール·フラガーであった。彼らはショーの後再会し連絡先を交換。この時をきっかけにふたちの絆が深まっていく。そんな時、ルディが住んでいる賃貸アパートの隣人である親子が問題を抱えている事をルディが知ることになる。母親は薬物所持で刑務所にて服役、その間息子であるマルコ·ディレ音の面倒を見る事を決意する(ポールもこの決意に賛同、協力)

3人は困難だが確かな愛がそこにある脆く幸せな生活を送り続けた。

ある時、ポールの上司により3人の関係を壊される事になる。同性愛者である2人の元で子供が育つことに世間は許さなかった。彼らの精一杯の愛情を注いだ意見は口答えとして扱われ侮辱罪として問われるそんな冷徹な世界で2人を許す者はいなかった。最終的に彼らの必死の努力も虚しく3人が再開することは無かった。マルコは2人の愛を忘れることが出来ず、保護されていた施設を脱走。それでも明るい未来はこの世界の何処にも無かった。



感想


後味の悪い作品だった。誰かを愛し、誰かを守りたいと心の底から思う事になんの罪があるのか私には一生理解ができない。そして理解をする世界を許すこともこれから先絶対に無い、皆無だ。

同性愛という物は確かに好き嫌いがはっきりわかれる生き方であり、人間というものは醜いアヒルの子と同様に自分とは違う何かを概念として迎え入れる事が出来ないに等しい、適応力に著しく欠けた生物だ。そしてその生物が作り上げたルール、つまり法の元で回るこの世界に同性愛者や「醜いアヒルの子」に生きる場所は無いに等しく、くらい陰の中で陽の世界に憧れを感じながら隠れて生きていく事が強いられるのだ。

私はこの作品はそんな世界でも希望はあるというメッセージがあるのだろうと思いながら見ていたが、結末でそんな希望は持つなと言われたような気がした。希望という物は「チョコレートドーナツ」のように外側が甘く皆が愛しているものだが、その深みを探ると本質は空っぽで本当はそこには何も無い。「希望」など存在しないのだ。そんなメッセージ性を感じてしまった。正直2度見る事はこれから無いのかもしれない。だが、後味の悪いものを避ける私のように気分が悪くなるものを見なかったことにする、つまり現実逃避をし世界で起きている悲しい事情を見て見ぬふりをした結果がこうなると言うこのなのかもしれないと思った。「頭の弱い子(ダウン症)(作中でルディの同僚がそう呼ぶ)」「同性愛者」私達はそれらを無意識に気味悪がり避けているのだろう。私も否が応でもそれらに間接的に入っていたのかもしれないと悲しくなってしまった。

裁判にて「私達は彼を愛しています」そう堂々と言った彼らに世界は何の手助けもしなかった。私に残った感情は虚無だった。


演者として、いつも思うのは「誰かの希望になる」だった。だが、私が与える希望は「チョコレートドーナツ」のように本質は空っぽなのかもしれない。そうでありたくない。

パンケーキのようにどこまでも広がる甘い希望を与えられるような人になりたいと思ったが、もしかしたらそれは「希望」ではなく「ただの願望」なのだろう。

いつか、冷たくも暖かいそんな作品に携わる事が出来たのならば私は厚い「チョコレートドーナツ」を作ろう。そしていくら食べても、穴にたどり着かないようにするのだ、これは現実逃避なんかではない。穴がある事を知りがらも、そこに辿り着かないよう深い愛で世界を包み込むのだ。出来るのならば、私の演技で。


最後に

ルディ役の彼の女性らしさがかなり自然で綺麗だった。

腰つきもかなり女性らしくか弱いラインは彼の弱さを表しているようだった。

目が優しく、緩く微笑み、眉毛の角度の変化、表情が細やかで、人を愛する時の彼の表情はまっすぐだった。

誰よりも繊細で脆い心を持つ彼は、今まで必死に戦っていた、武器を持たずに。その彼を導いたのがポールであり、マルコだったのだろう。


個人的にマルコの母親は一生許せない。どのような取引があったのかしらないが、恩を仇で返す人の心は本当にどこまで冷えきっているのだろうか理解しがたい。
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