三角

ゴーン・ガールの三角のレビュー・感想・評価

ゴーン・ガール(2014年製作の映画)
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再鑑賞、こんな社会怖すぎるの思いでいっぱいになった。
妻の妊娠、夫の不倫、などの極めてプライベートな事象が状態というか情報というか"設定"のように開示され、それが社会的信頼度とセットになっている。個人が社会に向けて報道されていくことは、そのようにゲームの登場人物とか、アイドルとかに設定がタグ付けされるのと同じ程度のことのように見える。そんなはずはないのに…
両親不在のニック。地元の刑事は有能だけど、有能故に陥れられたニックを追い詰める。誰も信頼できない中ニックを助けるのは双子の妹で、血縁最強か?とも見れるが正直マーゴの存在は同じ人間が分離しただけのように思えるし、脚本の意図レベルの視点から考えても間違いないと思う。主人公のサイドキックであり、追い詰められたニックの代わりに泣いたり怒ったりするのですが、そういう感情表現を女性に仮託しているからお前たちはダメ👎と悪態の一つもつきたくなる。けど効果的なので映画がお上手ですねと言わざるを得ない。善良なマーゴが無罪で捕まったりするとかわいトォ…😢と素直に思わされてしまうし…
フィクションの誇張かも知れんが、死刑への距離の近さが日本のそれとは段違いだと感じた。でもその裁判の行方というのも前述したような社会的信用度に追随しているのであり、被告人はおろか、弁護士とか検事とかもそれは同じなんだろうなと思うと気が遠くなる。その上個人主義が突き詰められて行き詰まってる。このおしまいの世界で他者と信頼関係を築くことは不可能という絶望感がめっちゃあった。妻のことを何も知らない夫、"設定"でしかその人のことを知ることができない…それらへの牽制としてアメリカ共産党的な保守的世界観が支持されるのも仕方なしとまで実感した…家族と地域に向けたパフォーマンスで築かれる信頼…でもそもそもエイミーの計画もレイプが犯罪として正当に認識されているから成り立つわけで、法治社会かくあるべしとは本当に思う。
女の現実の実感、日本でつくられるレイプファンタジー的な作品と違ってアメリカの映画ではここまで可視化され、世界中で見られているのになぜ世界っていまだに変わらないんだろうか、透明人間とか、エクスマキナとか、観てないけどスワロウとかあの一連の映画の先行作品はこれなんじゃないのか、更にその前に私が生きる肌とかあるとも思うけど…
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