nt708

アマデウスのnt708のネタバレレビュー・内容・結末

アマデウス(1984年製作の映画)
2.5

このレビューはネタバレを含みます

モーツァルトとサリエリのこと、キリスト教のことをもっと知っていたらより楽しめた映画だったかもしれない。天才は必ずどこか螺子が外れていて、人間失格と言えるほど性格が破綻しているのだが、モーツァルトもご多分に漏れない狂い方をしている。なぜあのような人間に神は才能を与えたもうたのか、凡人である私には到底理解ができないし、その意味で圧倒的にサリエリの味方である。

一方でサリエリを完全肯定するわけにもいかない。深すぎる愛は嫉妬を生むという古くから言われてきたことの象徴が彼の存在だった。モーツァルトとともに神を愛しすぎるあまり、自分の凡庸さに苦しみを覚え、それが嫉妬に変わる。まるで三島の『金閣寺』に出てくる修行坊主のような不気味さだ。何より不気味なのはこういう一面を人間であれば誰もが持ち合わせているということではないだろうか。

さて、映画の完成度はと言えば、平々凡々である。モーツァルトとサリエリの関係性を考慮すれば展開はある程度読めたし、演出としても少々退屈だったように思う(何より長い)。唯一本作を観る価値があるとすれば、モーツァルトの音楽をきれいな映像と共に大音量で聴くことができたということだろうか。あるいは本作の主役は映像ではなく、音楽なのかもしれない。だとすればあの指揮の演技は大いに改善の余地がある。指揮と譜面がどう考えてもちぐはぐなのだ。演者が下手なのか、指揮者がまともな演技を許さないほどの偉大さを兼ね備えているのか、どちらかはわからないが、音楽家には音楽家にしか表現できない何かがあるのは間違いないだろう。
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