よかった、私でもちゃんとほっこりできた!
“全う”な人ほどクマに構わないだろう、それが現代社会。
このクマは“自分たちでないもの”に難でも置き換えられる。
ブラウンさん一家が相手にしたのは、「同じ言語を使ってコミュニケーションがとれ、文化・生活になじもうとする姿勢があり、暴力的でない」からだろうと考えられました。
ブラウン家の人間はあまり好きになれない(とくに母)けど、パディントンにとってはよかった。
“母”という存在は異種であっても“こども”に対して働く何かがあるというのは過去いろんな作品で描かれていたが、たいていは「それで人間が助かる」流れなので逆パターンは珍しいと思った。