特濃ミルク

フレンチアルプスで起きたことの特濃ミルクのネタバレレビュー・内容・結末

3.8

このレビューはネタバレを含みます

 「逆トラ(略)」「スクエア」に引き続いて見た。今回も相変わらず風刺の効いた、いい意味でイヤ〜な気分にさせてくれる映画だった。
 三作通して気づいたのが、どの作品も観客を生理的に不快にさせる要素がわざと散りばめられているという事。金属がギィぃィッと擦れる音、会話を妨げるしつこい騒音、カメラの周りを飛び回るハエ。わざとだと分かっていてもかなり不愉快にさせられる。「うぜぇー」と何度呟いたことか。ほんま、何でそんな事するんや?
 さて、とりあえず今作が三作の中でも一番まとまっていて分かりやすかったのでこれを最初に見るべきだったかもしれない。(まあふつうは製作順に見るのかな。)
 主題としては、とある事件をきっかけに浮き彫りになる「父親像」について…というか流行りのジェンダー論、引いては世間の欺瞞や虚栄に対する風刺だろうと思う。
 父親の理想像に関して、世間で抱かれているステレオタイプのイメージの一つとしては「勇敢かつ聡明で、絶体絶命のピンチでも命を賭して家族を守る、マッチョなパパ」というものがあると思う。そんなハリウッド映画の主人公みてーな奴いねーよと思いつつも、何となく理想としてはもっともだという気がする。
 まあやはりそれも飽くまで理想ということで、いくら男でも勇気が出ないことも多いし、この映画のような状況になれば大抵の男は一目散に逃げちゃうんだよな。(もうしゃーないんだよ。わざわざ理想を掲げるということは、そうじゃない現実があるんだよ。)そして主人公は理想からかけ離れた自分の姿を受け入れられない&罪の意識&妻からの追及&子どもの冷たい視線を浴びて、四面楚歌、まさに雪崩のようにグラグラと崩れていく。
 この情けない父親を描く事で、視野の狭いジェンダー論(特にフェミニスト)に対するカウンターが効いてくるんじゃないかと思う。主人公は「父親」としての責任を果たせなかったことで皆に責め立てられるわけだが、まずそんな役割を誰が決めたんだ?「女性を解放しよう、性の多様性を認めよう」という動きがあるなら、そんな父親をすら認めてやるべきじゃないか?だいたい母親が子どもを抱えて逃げたらよかったんじゃないのか?(まあそもそも普通に考えてこの父親の行動は「一人の人間」として決して擁護できるものではないけど…)少なくともジェンダー解放論者は「父親なのに」と言ってこの主人公を責めることは出来ないわな。…そうするとすごく違和感を覚えないか。やっぱり「父親」として、家族を放り出して逃げるのは良くない、と正面切って言いたくないか?と、まあそんなことを考えた。
 結局「父親」は強く逞しくあらねばならん、ということで終盤の妻救出シーンに向かうわけだが…あれは旦那の威厳を取り戻すために妻の方で演出したんじゃないかな?笑。(最後の下手くそバスのシーンでは妻の方が先頭きって動いてたし、あの主人公はバス降りるのめちゃくちゃ早かった気がするし…。臆病さは変わってないんだろう。)それでもあんな単純なことで一気に「父親」らしくなるんだよなぁ。
 他にも「男」としての資質を試されるようなシーンが多くある。もうまとまらなくなったから終わるけど、とりあえず「男はつらいよ」ってことだな。今んところ。
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