次男

フレンチアルプスで起きたことの次男のレビュー・感想・評価

4.2
僕は、スキーができないので、「わ〜スキー楽しそうだなあ!」と思いました。あと、「このホテル、とても綺麗だなあ!」と思いました。「でも、一泊いくらだろう…?」とも。


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ネタバレ
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途中までは『「男が女が」論の映画かな〜〜』っつって、ズブハマりはしないながらも楽しく観ていた。ほんなら、『これは、男が女が論じゃなくて、選択の話なんじゃ?』と思い始める。

ママは、「このひとは私や子供を守らなかった!」って発奮したんじゃなく、「『彼を選んだこと』が最善であってほしかったのに」って思って抑えきれなかったんじゃないかしら。
そしてパパは、積み重ねてきた「選んだことが最善であらねば」という選択へのプレッシャーと、その不安でさめざめと泣いた。

選択の話。それを決めた意思が揺らぐって話。いとも簡単に、そして、かくも根深く。

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ラストシーンの雄弁さは、白眉。

危なっかしいバスを降りて、歩く人々。
『女性がひとりバスに残った』ってのが、とんでもなくニクい。

「…寒いし陽も落ちてきたし、歩くのキツい」
「いつまで歩かなきゃいけないんだ?」
「残った彼女は今頃到着してるのでは」
「降りる必要はあったのか?」
「降りなくても大丈夫だったんじゃ?」
「これでよかったのか?」
「ベストはなんだったのか?」
「でも少なくとも僕らはいま生きている」
「から、良しとしよう」
「これでよかったんだ」
「…」
「でも、」

そんな吹き出しが見えるかのような行進。
無限回廊な自問自答、確証の渇望、自信の無さ、振り払えないパラレルのイメージ、それでも足を止めるわけにはいかない。でもやはり不安。

「一番の敵は、自分の中の英雄」なんて劇中では言ってたけど、ほんとなんなんだろうね、「理想形でいなければいけない」、とか、「ベストな選択をしなきゃいけない」とか、背中にべったり張り付く圧迫感は!

「観光地行ったら一番うまいもん食べなきゃいけない」これだってひとつの、上記に紐付いた強迫観念じゃんね。観光地まで行かなくたっていい、ランチの店選びでも、その中のメニュー選びでも。
最善と思われる選択肢以外の行動を取るときは、「敢えて・選んで・やってるんです」というアピールを避けられないし、遠回りするのだって、「遠回りにも良いことある」って慰めなきゃ気が済まねえし。

どんだけこええんだよ!っつって、バカヤロウめちゃくちゃ心当たりあるからこんだけ感想長くなってんだっつーの。すんげえこええんだよ。思えば、そんな強迫観念に取り憑かれて日々を過ごし続けてる。だましだましと見て見ぬ振りを駆使しながら。

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映画のラストは、そんな不安を全面に押し出した感慨を残したけど、でも不安へのひとつの回答は、ひとつ前のシークエンスにあったと思うのだ。

「遭難しかけたママを助けて戻るパパ」っていう嘘をついた二人。このファミリーや、この旅行を、最善に見せかけるための、最善の嘘。
「子供のため」「父の威厳のため」そんな建前だってしっかり用意しながら、でもきっと一番救われてるのは夫婦自身だろな。「僕たちは大丈夫」な嘘を全力でついて、はっきりと第三者を騙して、ついでに自分自身も騙して、ほんで闊歩してこう。ゲレンデを出る四人は、アルマゲドンみたいに堂々とかっちょかったぞ。

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…なんて、映画全体をそう解釈するのは、『「男が女が」論を避けようとする男思考』だったりするのかしら?と無理矢理「男が女が」論に戻してみる。

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映像に関しても素晴らしかった。

いやーこの映画、素晴らしいフィックスで映像を切り取るなあ。頭からケツまで、フィックスの有能さに唸り続けた。ワークしない・フィックスだから醸し出される緊張感が、内容にめちゃくちゃ合ってる!
(ウェス作品みたいに狙いまくったフィックスも素敵だし、ヤン作品みたいに思いの強い1シーン1カットも好きだけど、この映画みたいに「ワークがすごく良いのに、恣意的な存在感は無い」ってのも、とても素晴らしいなあ。)

ほんでこの映画もまた、音の使い方素晴らしい。環境音を狙いで立たせるのは、最近のトレンドなんだろうか?「Reload」の使い方も楽しすぎな!
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