乙郎さん

ニンフォマニアック Vol.2の乙郎さんのネタバレレビュー・内容・結末

ニンフォマニアック Vol.2(2013年製作の映画)
3.0

このレビューはネタバレを含みます

 輸入盤ブルーレイにて鑑賞したので、ちゃんと理解できているのか自信はないが、非常に不思議な感触を持った。
 実のところ、この映画そのものが批評というものをかなり無効化するような構造になっているため、語るのが難しいのだけれども。
 この映画においては、自信の性体験を語るジョー(シャルロット・ゲンスブール)と、それを聴く学者(ステラン・スカルスガルド)が付け加える解釈によって進行する。で、フィボナッチ数列や悪魔の和音を持ち出してくる学者の解釈に、vol.1の時点ではふむふむと聴き入っているわけだけれども、vol.2の早い段階で、その学者に隠されたある事実が明らかになる。
 それは、彼が童貞だということ。
 それで、この映画は先ほどの構造をこうも言いかえることができる。つまり、ビッチと童貞のお話だと。
 で、ここでビッチとは何か、童貞とは何か、に関して述べたいのだけれども、それ自体がこの映画の中で学者がやっていたことに他ならないのであり、それゆえラストの学者の顛末を考えると何も言えなくなってしまうのだよね。
 
 ま、書こう。

 小さい頃、読書感想文を書かされたときに、ある本を読んで素直に感じたことを書いたつもりなのに、実際に先生に褒められたのは、その本に当てはまるような自分のエピソードを語って、ラストに申し訳程度に本に結び付けるような感想文を書いた人だった。
 それからだいぶ時間が経ったけれども、自分の経験不足を補うように知識をつけてきたし、そのことを少し褒められたりもした。

 大槻ケンヂは著書『グミ・チョコレート・パイン』の中で「1000本映画を見るより1回セックスするほうが尊い」と主人公を絶望させ、それへのアンサーとして銀杏BOYZの峯田和伸は「あいつらが簡単にやっちまう100回のセックスより青春時代に『グミ・チョコレート・パイン』を一回読むことのほうが意味があるのさ」と歌った。
 結局のところ、このふたつの間で揺れ動いている。
 あの学者は確かに僕だった。自分の経験不足にコンプレックスを持ち、そのことを埋めるために知識を得る。けれども、自分に一番足りていないものを満たすことはできないし、ただひとつのそれを持っている者には敵わない。

 そういったどうしようもない事実を思い知らされたにも関わらず、ラストにある種のカタルシスを感じたのは、自分の中の弱い部分を殺してもらったからなのかもしれない。
乙郎さん

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