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新選組始末記のCisaraghiのレビュー・感想・評価

新選組始末記(1963年製作の映画)
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新選組については知識も乏しければ興味もあまりなく、後回しになっていた『新選組始末記』。幕末という比較的近い時代の史実が描かれているだけあって、所詮は架空の話である数多のチャンバラ時代劇を観るような気楽さでは見られないと観てみてわかった。特に日本刀によるテロとも言える池田屋事件の凄惨な場面は、こんなことが現実に起こったのだと思うとゾッとした。

司馬遼太郎や三谷幸喜の大河ドラマなどの影響か、どことなく幕末の爽やかな若きヒーローたちといったカッコいいイメージがある新選組だが、ここでは、その実血腥い人殺し軍団で、切腹強要や闇討ちなどの内部粛正あり内ゲバあり、残虐な拷問ありのグロテスクな集団だったことが描かれている。

中でも土方歳三はかなりイッチャってるヤバい奴。その土方に闇討ちされた芹沢の所業は人間として言語道断で、爽やかどころじゃない。雷蔵演じる山崎は一応主人公なので美しく描かれてはいるが、自分を殺さないため ( 自分の剣の才能を生かすため ) に人を殺す道に入るだの、新選組の一員であることを自覚するために人を斬り殺しただの、よく考えたら常軌を逸している。オーム真理教にも似た理屈だ。一見優しいお相撲さんみたいな若山富三郎に ( 琴欧洲似!)、一番まともに描かれている近藤勇役がよく似合っていた。群像劇ではあるが、主役の雷蔵さんが他の人 ( 天地茂、若山富三郎 ) にこんなに食われている映画も珍しいと思う。

それにしても、こんな輩が市中をうろついて時に天誅と称して人を殺め、挙げ句にこんな大事件を起こされて、当時の京都に暮らしていた人たちはさぞおっかなかったのではなかろうか。みぶろう、みぶろう。

原作になっている「新選組始末記」は、作者の子母澤寛が大正末期から昭和初年にかけて、生き残りの新選組関係者を歴訪し、資料を採集して聞き書きを取り、それを研究者の資料を踏まえた叙述の間に挿入するという、新しい形式でまとめられているという( raizofan.netより) 。読んでみたい。

女性が取り乱しているからといって、頬を張るのは単なる暴力、DV。雷蔵君、アウト。古い時代劇を観るとこういうのがふいに現れるからストレスになる。

それと、三隅作品に多用されている、ジャージャーという電子キーボードの音。これが私にとってはノイズでしかなく、三隅作品を好きになれない大きな一因になっている。黒澤の時代劇がその他のものと完全に一線を隔しているのは、音楽のレベルの高さもあるのでは。

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