ぐりこ

沈黙ーサイレンスーのぐりこのネタバレレビュー・内容・結末

沈黙ーサイレンスー(2015年製作の映画)
2.7

このレビューはネタバレを含みます

スコセッシ監督による遠藤周作『沈黙』
まず最初に自分は原作を読んでない。

その上で、感想はやはり「スコセッシさんは敬虔なカトリックなんですね」
宗教とは難しいもので、信仰すればするほど、異教無教は暗愚に映る(一神教徒には特に)

ひたすらキリシタンへの迫害を描く前半部では「お奉行」はただ無慈悲だ。
“通辞”の浅野忠信がでてきてから、少し変わる。体制側の考え方も明かされる。この国は暗闇ではなく、仏教と古来神道がありキリスト教は不要だと。
日本の政府もバカじゃない。

歴史上、狂信のあまり国(と民)を丸ごと外国の教会に寄進しちゃったお殿様もいたわけで、政府としては異教は認めがたいのも、わかる。
宗教の評価はすべて歴史が決めるわけで、どんな宗教も、最初は胡散臭い新興宗教だしね。

しかも、「死んで花実が咲くものか」が通用せず、宗教の世界ではパライソや極楽浄土やイスラームではなんというのかな、へいける。殉教者は新たな聖人として祀られ、より結束を生む。
中世の政府からしたらさぞ怖いだろうな。
ロドリゴと通辞の会話には、その根本的見解の相違が顕れる。

そういえば、少し時代を遡れば、 織田信長が一向宗徒と戦い比叡山を焼き討ちしたのも、似た発想かと。

話がそれた

さて、終盤に近づくとキーパーソン フェレイラ師がでてくる。彼は「転んだ」宣教師でロドリゴに棄教を奨める。結果、ロドリゴはキリスト教を棄てて妻を持ち(イエズス会は禁妻帯)、日本政府の雇われとして生きる。
ひたすら黙して。確認のための踏み絵を黙々とこなして。

この段階では、観客は、ロドリゴが棄教したのか否か、わからない。
が、最後、亡くなって火葬される際に手の中のロザリオを映すことで、ロドリゴが踏み絵をこなしながらも、心の中で信教を貫いたと答えをみせる。
(観客はきっと少しほっとする)


沈黙、とはつまり、イエスが「沼」(キリスト教からすると日本は沼 於作中)でもがく人々に何も言わない、ということ。

それでも内なる信仰を貫いたロドリゴやキチジロー、棄教したもの、ロドリゴのツレや踏み絵をできず磔や首斬りになったもの、、、それぞれの宗教観を残酷にみせる映画でした。

従って、宗教に身を置かない私には結局最後にふーんとなってしまう作品。
絶対に評価がわかれる作品。

でも、こんなに長いレビューを書きたくなるくらい引き込まれたし、最後まで目を離させないよくできた作品。
そう思う。


たぶん、キチジロー役窪塚の小物っぷり、通辞役浅野の聡明さ、奉行役イッセー尾方の狡猾さ、日本人俳優の深い演技ゆえかな。
加瀬亮の首ちょんぱはつらかった・・・
ぐりこ

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