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『モアナ』に投稿された感想・評価

極北のナヌークに対する南国のモアナ。

島で暮らす人々や激しく岩浜を打つ波、海を揺蕩う船の姿はどれも胸を打つものばかりだった。

しかしこれは前作を見ても思ったことで、フラハティの映すものってのは映し方が良い具合に自然だからか見ているだけで感動するものばかりなのだけど、こんな風に純粋にフィルムに映るものに感動できる映画を撮った監督ってフラハティとリュミエール兄弟、それとヨリス・イヴェンスくらいじゃなかろうか。
☑️『モアナ』及び『極北の怪異』『アラン』『ルイジアナ物語』▶️▶️
古典的な映画作家については特定の人に興味を持ってない段階でも、グリフィスやフラハティは、興業といかずもシネクラブ等で当たり前にやっていて、自然に入り込んできてる。『極北の怪異(ナヌーク)』『アラン』『ルイジアナ物語』等に関しては、字幕スーパー無し、16ミリ縮小版であっても、少なくとも40年くらい前から多くの映画ファンが触れ続けてきたのではあるまいか。しかし、『モアナ』に関しては、一昨年’17年だったか、映画祭で観るまで存在も知らなかった。戦前に日本公開されたのだろうか、されていないとしたら、いやされてないみたいだから、翌’18年一般公開されたので、当然’18封切り洋画のベストテンの上位作品とした。サイレントの原版に作者の娘さんが現地人の相当する肉声を数十年後に録りに行ってかぶせたというユニークな作品で、映画の魅力としては極上だった。
その後、復元版リバイバルやビデオ化発売されたこの作家の他の作品も一堂に集めての名画座上映。個々の評価は殆ど変わらず(0.1点留まり)、大きな発見があるわけでもないが、壮観というに尽きる。いまも活きる映画表現・人間と自然との関係性、そして今や失われた映画システムへのモラルの両面が、一貫して追求・進化され尽くしてる。
初期から、フラハティは映画言語を知り尽くし、従わせて、厳密に記録性にこだわるような馬鹿なことはしていない。『ナヌーク』の雪氷の住居の中とか、快調な漁・猟のありかたなど、そういった事実の真の姿を理解しての表現だから、それが手を加えてない事実の記録かどうか、関係ない。それ以上に、フィットしたパン(後年は人の動きの規則性なのかランダムなのか判然としない左右往き来も自由ね懐へ、次作からは立木等へのティルトも)、どんでんや90゚変や細かい角度変続きのカメラポジションの置き方の腰の据わり方、寄りサイズやCUも間髪置かず入る(後年はより効果的望遠も自在に選択駆使)、離れた双場や近接二者の交互切り替え、映画美学(リズム・バランス)ではなく事実を継いで保持する浅い角度・カット変(の続きも)、等の作り込んだタイトさとは逆に働く映画技法・技術を完全にかつ嫌らしくなく初期から使い込んでる(ベースは変わらず、ぐんぐん洗練されてく)。そして、カメラが廻ってない全ての瞬間の有り様を親密に共有しているイヌイット一家(作品はこの人たちとの永い交流が成す文化人類学的でもある巨大な氷山の一角でしかない)が、信じがたく魅力的で真に存在しきっている(2年後餓死の報告には驚かされたが、前回40数年前観た時、この字幕はあったろうか)。
『モアナ』のサモアの島の一家と(近く)近親者はより魅力的である。付け加えられた肉声の力より前に、ここの人物たちは呼吸の一分として笑い声を洩らし発している(若いふたりのトゥ・ショット内などうちから響いてくる)。こんなに生の一瞬毎の内外をいきいきと感じきってる人たちの映画は観た事がない。そして、造ったモンタージュもあるけれど、ここの猪・亀・魚・蟹・椰子ら確保、植物からの衣類・飲料手品的造り、大浪と争い平気で飲まれちまう、舞や成人・婚姻への入念な底知れぬ味わい深い儀式性、らは本当に嘘なく克明に描かれ、自然もコラボしている親密さは、逆にフィクションの余裕が嫌らしくなく匂ってくるくらいの止めどない深みと柔らかさがある。とくにタイトル・ロールの若者の舞の極めて低い姿勢から特異に延びくる手足、当初はその影だけが一部フレーム内で、やがてフィアンセとの横ズレ対応交互に、更に両脇の長老間の受け渡しで前過ぎるパン・少しWりズレカットの呼吸、何だか分からないままに名人!と無意識に唸る。落語の名人芸の気張らぬ呼吸・人間再発見にも通じる。ルノワールはフラハティと友人だったらしいが、同じ友人のドライヤー・ロッセリーニと同じく、くもりない・身贔屓のない最高の賛辞を送っている。
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『アラン』の唯一の欠点は美し過ぎること。まるで、フォードの自然に対する(アイルランド過酷僻地海岸の崖・波・雲・地・人!)構図・陰影・優しさと風格を完全に引き入れ、エイゼンシュテインの切迫を更に激しく強く・刻み追い詰めるモンタージュ(『~ポチョムキン』の頃)が取り込まれ、クールベの絵画の様な絶対的瞬間と厳とした真のスケールが信じがたく続くと云いたい映画。内容の、深刻強調と、視覚的にもあり得ぬ一家と漁師たちのピンチのレベル強調と日常の一部的切り抜け帰着の方向性も気にならぬ。最高のスポーツ競技を眼前に見てる気もして、もう、何も言えない心境にも自然なってしまう映画。しかし、ここでは実在の人間への愛着・興味より、映画としての完全なる到達点を目指してるようで、しかしそれが映画を受け入れる社会との折り合いを掴む起点となる、産業化してきた映画界でのこの時点での選択肢だったのかもしれない。また、自己の表現方法の美的観点からの確認作業を、撮る楽しみより、その間苦しくとも撮った後の歓びを目指した作品なのかもしれない(『タヴー』はムルナウ色が圧倒的に強いとは言い切れぬか、或いは以後の影響を受けた出逢いだったのか)。
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『ルイジアナ~』のこれも高名カメラマンの陰影・艶の圧倒的視覚に驚き目を見張るなか、知性も豊かな少数民族の、米中西部の密林伴う河の自然との交流と、石油掘削設備・技師らの偉容と困難へのチャレンジの人間性が、対立するのではなく、交感し合うという、モンタージュ・デクパージュ自体から無理な作りが見える、スポンサード・近ハリウッド映画だが、記録映画としても・また劇映画としても、美しさがはみ出し、河に作られ聳える巨大な掘削試験の櫓は、フェリーニ『8 1/2』のラストの実利で無益で、無形の夢を育むSF大セットにもみえる。
神。ミクロネシアとゆー、一見、文化が進んでなさそーな土地の人々の映画なのだが、彼らの先祖が積み上げた伝統の技や知恵が、彼ら自身の手つきから垣間見える。
映画が終わる頃にはすみませんでしたと土下座するレベルの傑作。

特に桑の木から服を作るシーンは驚愕に値するし、子供が超高いヤシの木を登るとこなんて、キートンやロイドもかなわないだろう。
儀式のシーンでの手つき、ダンスが素晴らしい。
これぞ運動である。

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