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ワザリング・ハイツ ~嵐が丘~/嵐が丘のKnightsofOdessaのレビュー・感想・評価

5.0
[五感で感じる『嵐が丘』] 100点

圧倒的大傑作!!!これまで『嵐が丘』は散逸してしまった A.V. Bramble のサイレント版(1920年)に始まり、ウィリアム・ワイラー、ルイス・ブニュエル、ジャック・リヴェット、吉田喜重などが映画化しており、テレビ版も含めると20を超える作品が世界中で映像化されている。アンドレア・アーノルド長編三作目である本作品は、数ある映画化作品の中では最新のものであり、現状キャリアで唯一カンヌ映画祭に出品されなかった作品でもある。その他の映画化作品との大きな違いは、ヒースクリフが黒人であることだろう。それによって、彼が迫害される理由が孤児や血縁以上に強調され、家の中にいるキャサリンを窓の外から眺めるシーンに代表されるように、叶わぬ階級差恋愛の側面も強調される。その是非は置いといて。

アーンショウ氏が亡くなり、ヒンドリーが家督を継ぐという時代変化を背景に、子供時代のヒースクリフとキャサリンが互いに惹かれ合う様を泥と風と霧に塗れたエロチックかつ扇情的な映像で魅せつける。カヤ・スコデラーリオが主演という扱いになっているが、彼女が登場するのは映画が半分ほど終わったところであり、前半1時間は子供時代のすれ違いや復讐に至るまでの感情変化を丁寧に拾い続ける。如何に彼が非人間的に扱われていたか、如何に彼がキャサリンを愛し続けたのか。荒々しく揺れるカメラは風と一体となった精霊のようにヒースクリフへと纏わり付き、時には彼の目線をも共有する。

大人になって帰ってきたヒースクリフはエドガーと結婚したキャサリンと再会するが、彼の心はずっと子供時代の、それもキャサリンと遊んでいた頃にある。キャサリンとの散歩に付いてくるイザベルには見向きもせず、キャサリンの所作の端々に遊んだ頃の記憶を思い返し、サブリミナル的に映像も挿入される。彼がキャサリンに近付くことも遠ざかることも彼女を追い詰めていることだけは確かで、ヒンドリーやエドガーすらモブキャラになる中、彼らの失われた愛は再び繋がることなく失われる。前半はヒースクリフの失踪によって、後半はキャサリンの死によって。

本作品にキャシー(娘)やヒントン・ヒースクリフといった子供世代の人物は全く登場しない。唯一登場するヘアトンもモブキャラ扱いだ。キャサリンとの美しい思い出を胸に風吹く丘を歩むヒースクリフだけを見れば、おおそよ復讐のために子供世代まで手に掛ける人物には見えないが、"嵐が丘"地域をしっかり取り上げているのでそうとも言い切れない。彼の積層した怒りはキャサリンの死によって、喪失感と悲しみへと変わってしまったのだろうか、それとも長い弔い合戦が始まるのだろうか。陰湿な天気は晴れることなく、今日も風が吹き荒ぶ。
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