レインウォッチャー

キングスマンのレインウォッチャーのレビュー・感想・評価

キングスマン(2015年製作の映画)
4.0
ー「あなたが落としたのは、《マジメなスパイ映画》ですか?それとも《不マジメなスパイ映画》ですか?」

いえ、わたしが落としたのは《頭がばくはつするスパイ映画》です。

ー「正直者のあなたには『キングスマン』をくれてやりましょう」

というわけで、あれ?ここはコロコロコミックかな?くらいの世界解像度で繰り広げられるブリティッシュハイテンションアクション、ごきげんよう『キングスマン』である。高級テーラーが実は国を影で支えてきた正義のスパイ組織だった、以上。

「最近のスパイ映画は深刻過ぎてイマイチ」なんてわざわざ登場人物に語らせるだけあって、アホで傾奇で、でもしっかりヒーローなスパイものを現代のテクノロジーとオトコの料理感覚で蘇らせた。爆発と銃弾と切断とトンデモガジェットは多い方が良い、調味料は思った3倍ってリュウジも言ってるでしょ。
わたしは『007』シリーズとかを含むスパイ映画の歴史にまったく詳しくないのだけれど、もしそのカドでマウントをとられたとして(そんな経験があるわけではない)、「いいんです、『キングスマン』観たんで」って言ってやればいいのである。

物語は、ワーキングクラスの青年エグジー(T・エガートン)がベテランスパイ紳士=上流階級のハリー(C・ファース)によってフックアップされるというシンデレラボーイ的な話でもある。ここにも、「伝統・権威への挑戦(と継承)」みたいな心意気が通底していることがわかると思う。
エグジーと共に訓練に挑む同期のライバルたちはそれなりの家柄から出てきた奴等ばかりだし、S・L・ジャクソン演じるヴィランは富と通信という現代の権威を掌握した成功者でもある。それに、エグジーがモノにするヒロインはといえば、みなまで言うまいって感じだ。

そして最終的には、エグジーはハリーという《よき父親》から受け継いだものを使って、《悪い父親》を打ち倒し、一人前の男になる。アホな映画に見えて、ここはキレイに序破急というか、それこそ伝統的な通過儀礼譚として一本筋が通っているのだ。

また何よりの見どころとなる、スローモーションと早回し、POVに回転などを組み合わせた目まぐるしくカラフルな長回しアクションの数々は、まるでダンスの演舞を観ているような快感があって、知能指数がパチンコのごとく小気味よい音を立てて流出していく。
レナード・スキナードやKC & the Sunshine BandといったBGMもその印象を後押しするわけだけれど、そのあたり時々『KILL BILL』ぽさを感じたりもした。(※1)

あとは、テーラーという設定に恥じない華麗なスーツ映画としての美しさ。ハリーやエグジーの凛としたダブルの着こなしにはこちらの背筋も伸びるようだし、頼れる補佐役マーリン(M・ストロング)のセータールックは全おじの目標となろう。
ただの個人的な話になるけれど、社会人になってかろうじて脱ピヨピヨ、くらいのときが今作のリアルタイムだったせいか、「スーツは誂えるものだ」っていうハリーの台詞がずっと残ってる。ちょうどそろそろお外は春、『キングスマン』が映える季節になってきた。

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※1:かっこよ色っぽい義足の殺し屋ガール、ガゼルにはGOGO夕張(栗山千明)越えの可能性を感じた。吹替、沢城みゆきだし。S・ブテラの顎さえ割れていなければ…(個人の感想です)