このレビューはネタバレを含みます
この映画を大学の時に見ていれば、卒論は間違いなく変わっていたなと。
はじめは資本主義に小さな鉄槌を加えるやんちゃな家族の物語かと思っていたが、
どうやら話はもっとミクロで精神的な部分にも突き刺さるようだ。
政治と社会と精神分析が密接に関わり合うラカン的読み方のいい例だ。
その裏にあるのは母の死というマクガフィンであり、登場人物達はみなそのマクガフィンに自分の見たいもの、欲望を投影しては裏切られる。母はそのまま母なる大地というように、その社会そのものを暗喩する存在としても機能している。
最後は水に流してお終いよと。
大自然の中のカメラワークと良い音楽、鬱屈な気分も晴らしてくれる映画の雰囲気もあって大満足の映画でした。
キーワード:「スクール」「母」「Flash」「Political」「Homogenization」
この映画とあともうひとつ、それで卒論よりも格段に良いプレゼンが出来たなあ。
和出の卒論「不完全性・ポストモダン・誤配 『ガーディアンズオブギャラクシー』から見る僕らの生き残り戦術」