まりぃくりすてぃ

ハイサイゾンビのまりぃくりすてぃのレビュー・感想・評価

ハイサイゾンビ(2014年製作の映画)
3.2
B級映画(へたウマで、気楽に観れて幸せ)か、C級(へたっぴそうで本当にへただから、時間のムダだった)か、Z級(へたすぎて抹殺対象!)か、、、 私は、これ堂々のBだと思った。ヒロインが襲われる短いシーンだけはAかS級。
とにかく、沖縄県産品! 天然果汁(血汁?)100%のね! スタッフ・キャストのほとんどがウチナーンチュ(沖縄人)。

えっと、、
1605年、中国から琉球王国へ芋(の苗)がこっそり持ち込まれ、それは食糧難に苦しみつづける琉球人民を救ったんだよね。1609年、薩摩藩が琉球に侵攻すると、薩摩を通してその便利な美味しい芋は琉球から日本各地に広がり、「サツマイモ」と呼ばれだしたって。今も、沖縄県ふくむ日本国内での呼称は「サツマイモ」に統一されちゃったままだよ。
沖縄からみれば、ちょっとヘンだね。
同様に、沖縄の郷土料理の一つだったチキ揚げが、鹿児島県経由で全国に広がって「サツマ揚げ」と呼ばれるようになっちゃった。
やっぱ、ヘンだよね。
同様に! ────ロメロやライミを元気いっぱい沖縄に取り入れて創った2014年のこれ『ハイサイゾンビ』を、その後本土の人々が2017年にパクって『カメラを止めるな!』の全国的大ヒット。沖縄は悔しむべき? あれもこれもと楽しめばいいだけ?(カメ止めも私は好きだよ。劇場で三回観た。)
自主ゾンビ映画の撮影中に本物のゾンビが紛れ込んできて、、、というお話。

S級って書いた、デカ目でスタイルもいいヒロイン役の川満彩杏(かわみつ・あい)がゾンビ団に襲われるシーンは、200円ぐらいの価値あり!
全体として、血プシャーは本格み。
シナリオは、ん~~。。。。
川満さん以外は、FECという沖縄県内のお笑い団体の芸人さんたち(&ゾンビ用エキストラ)。ゾンビ1号の村山靖さんが若干イケメンです。(ほんの若干ですが。)琉球空手をちょっとやってたね、トミー役の比嘉恭平さん。主役ドン役ベンビーさんは、カメ止めのお父さんにちょっとつながるスマートさ。イケメン率低いけどまあまあ馴染める~。
若ヒロイン以外からは、アラサー(~アラフォー?)の沖縄県民男性がふだん口にしてるレベルのリアル・ウチナーヤマトグチ(沖縄方言まじりの甚だ乱れた標準語)が終始ポンポン出てくるので、本土の日本人はちょっと理解が追いつかないかも。私は本土の者だけれど全部理解した。(酔っぱらいのクダ巻いてる独り言も、半分程度は聴き取れた。)
「グソー」を「あの世」にすぐ言い換えたのと、「オーマイガー」に「あぎじゃびよー」を連ねたのが、ちょっと本土向け(方言知らない人向け)って思えたけど、それ以外は、ほんと、隅から隅まで惜しげもなく沖縄ネイティブ向けに創った感。
青い海や夏雲や有名観光地なんて一つも出てこなくていいんです。仮に出てきたら、それもまた吉だけど。
沖縄市のシャッター街的な商店街でバトルしたりする。実際に沖縄市はベトナム戦争時の面影も(たぶん)なくて寂れてる街だろうけれど、いくら何でもシャッター下りすぎ、、、って、よく見ると、これオフシーズンのたぶん元旦あたりに商店街を借りきって撮ってるんだよね。元旦からこんな血プシャー映画に出てる人(撮ってる人)たちのバカバカしさ、おもしろいね!

序盤で旧盆のエイサーの格好(男は装束・女は絣)して「ウークイ(あの世へご先祖さまをお見送りする、霊送り)のパーランクー(太鼓)と歌舞で、死者をグソー(あの世)へ送り返すんだ!」と沖縄ゾンビ映画ならではの切り口を示したのは、先を期待させた。でも、その世界観は、あくまでも最初の劇中劇(ゾンビ映画撮影隊の台本)にすぎなくて、中盤~後半は、エイサーなんて無関係に。
ヒロインが中盤に消えちゃって以降は、シャッター商店街の暗がりの中でのエキストラゾンビ軍団殺処分シーンが地味に続くので、絵として退屈を呼ぶ、これがちょっと残念な点。そんな中、半裸の女性ゾンビの踊りには、それなりの意味強さがあるんだけど、寄り撮影等を増やして絵的なクライマックスを来させてほしかったな、是非。
屋内の細めの空間での死体バタバタをちょっぴりは “産道” に見立てたみたいな幻想的っぽな暗さ表現と、そこに品よくかぶせられた「かぎやで風」(沖縄の、結婚式など祝い事のさいに歌われる曲)が、おそらくは “死からの再生/永遠の生/こだわるべきは生” につながるんだろう。
でも、私なら、霊送りのエイサー団(大太鼓や小太鼓を持った)とゾンビ団との血染めの戦い(場合によっては返り討ちのエイサー青年団全員ゾンビ化?)を大展開させるなどして、もっと沖縄らしい先祖供養モチーフを大々的に取り込むけどな。沖縄ビギナーが切望するようなビーチや夏空や有名観光地なんかはもちろん不必要と私は思うけども、旧盆ネタはぜったい馴染みよいと思うんだけどな。
夏ネタと冬の撮影との齟齬かな、この映画が秀作に成りきれなかった一要因は。うん、そのへんの、やっぱり前半の少々の沖縄らしさと、後半の “どこの県で撮っても同じじゃん” っぽいエキストラゴチャゴチャとの、ギャップが、やや残念だった。
ラストだけはちゃんとおもしろい。

それとともに、とても大切な要素も感じとれたよ。
沖縄県民があまり自覚していない、沖縄県民の一番の短所は、「ルーズ」や「短気」や「酒の飲みすぎ」じゃなく「粘りがない」でもなく、きっと「熱しやすく冷めやすい」だと私は勘づいてる。(これを正面から指摘すると、怒りだして私をひっぱたこうとするウチナーンチュもたまにいるだろうけど、でも、客観的にこれ正しいはずだから!)
ウチナーンチュは、最初だけニコニコと突進してくる。ちょっとの旅で出会ったばかりの本土からの観光客とかにも「今晩、泊まっていけー」「くり(これ)食べれ」「もう友達さー」「ずっと沖縄にいれー(いろ)」「うちと一緒に働かない? いいスナックあるから」などとそれはそれは親切に接してくれる。女同士でも、その日のうちに本格キスしそうなぐらいに本当に仲良くしてくれる。異性間になるとナンパ要素も加わるから、そりゃもう数十倍の熱さ。愛までありげ。だけど、こっちが「せっかく出会ったんだから、丁寧に、誠実に、確かな中身が伴うように、長くおつきあいしたいから」と実直なペースを守りつつ相手に少しずつ少しずつしっかり心を開いていって、ついには深い絆を求めていこうとした頃には、ウチナーンチュは、もうサバサバと去りつつあったり、ただの知り合いの一人っていう顔しかしなくなる。冷たくなるわけじゃないけども。
だいたい、みんなそうだ。近づいてくる時はすごい勢い。あっというまに去ってゆく。(そういうウチナーンチュらしさがなくて、真に深く長いつきあいができるウチナーンチュっていうのは、本土で通学したり働いたりした経験持つ人な場合が多い。)
人間関係だけじゃない。仕事とか、社会全体のこととか、いろーんなことに、最初は熱く、でも、冷めれば早い、って感じにあっさり転換迎えちゃう。
沖縄は、離婚率がものすごく高い。北海道と並んで。北海道の場合は、「女性も働いてたりして芯が強いから」だとか聞くね。でも、沖縄では、前に、新婚わずか二か月で双方の浮気により離婚、って沖縄人に(一般論として)「何で沖縄って離婚が多いのかなー」と私が問いかけてみたら、その女性は「出会いが多いからじゃないでしょうかね」とさばさば答えてた。もちろん、それは極端な人の例だろうけど。
人間関係とか婚姻のことだけだったらいい。米軍基地のこととかは? 私も歴史を全部把握してるわけじゃないけど、90年代に米軍人による少女強姦事件とかあった後に反基地県民大会に何万人も参加、とかすごく盛り上がったはずが、特に何も失政してない県知事が直後の選挙で経済策優先の対立候補に敗れちゃったり、その後も県知事選や沖縄市・宜野湾市・名護市その他の選挙でいろんな結果が入り乱れたり、石垣島では自衛隊大規模受け入れが加速化したりと、本土からみて「もしかして、沖縄も、お金とかいっぱい渡せば、コロッと心変わりするんじゃないの? 既に考えを変えてるんじゃないの?」と侮れる感じもあったかもしれない。(もちろん軽々しく私が意見することじゃないだろうけど。県民一人一人に生活があるからね。)
で、沖縄も、熱くなる時は熱いけど、冷めさせればチョロイんじゃないの、っていう侮りの末期に、「沖縄史上初めて、沖縄県民自身が米軍基地の新設を自ら望む」という政府&官僚&米国防総省が用意したシナリオ(自民党中央本部のやることのすべてが悪いとはいえないけど)にまんまと飽きっぽい沖縄県民がからめとられていくのか、、、、、ってタイミングで、この『ハイサイゾンビ』みたいな映画が創られて、咆哮が聞こえた!ような気がした。「熱しやすいけど、冷めにくいぞ!」と。
そう、おそらくは作者たちが意識していないところで、この何でもない娯楽映画は、沖縄県民の最大の短所を乗り越えよう、という声なき声を鑑賞者に伝えることができてる!
「くじけそうな時、サム・ライミの『死霊のはらわた』を観て自分たちを励ます。俺たちの夢をいつか撮りたいわけさ」「いつかじゃなくて、今日撮ろうぜ」 ☞☞☞☞ そしてそして! ゾンビに喰われて普通は終わるところを、本作では、ゾンビに喰われてゾンビ(死体)になってもなお映画撮影を続行しようとする、生にしがみついて諦めない、奇蹟のラストを迎えるんだ!!! ああ、沖縄は変わったね!(偉そうに書いてゴメン!) きっと変わったよ! 変われるし! 成長できるのが沖縄の人たちだと私は思うんだ! なぜって、大きすぎる悲劇と長すぎる苦しみをちゃんと知ってる人たちだから。
消えていたヒロインの、ラストの大演技を見よう! 『カメ止め』っていう別作品に(たぶん)パクられちゃって終わった映画かもだけど、これはすごい精神性だと思うよ!!
ぼーっと見ちゃダメな、最高のB映画なのかも! 何といっても県産品。沖縄が、方言をほとんど言い換えずに字幕も用意せずに、沖縄のために創ったんだから。諦めずに進もう!

で、後半の、商店街や暗がりの中での死体バタバタは、結局のところ、いや、結局でもなく最初からだけど、あの第二次世界大戦の、県民の四人に一人が死んだという壮絶な沖縄戦(“鉄の暴風”)を想わせないでしょうか? 女ゾンビの「かぎやで風」の舞踊の場の暗く細い屋内は、例えば陸軍病院壕とかを想い出させないでしょうか?
そこからの “再生、そして撮影再開” ……………… おそらくはまったく(徹底的に)無意識なうちに監督らは常に今日(こんにち)的といえる祖霊たちや戦死者の霊たちの島を、特別な、特別なゾンビ映画の舞台として薄暗いままに輝かせたのかもね。
考えすぎな私か。
たかがゾンビ映画でなぜ私はこんなに考えちゃうんだろ。

[つたや]