このレビューはネタバレを含みます
最初の映像から、ずっと心地の良い時間が流れていく。
エリセは映像がなにを伝え得るのか
どう優しくあれるのか、よく知ってるような気がして泣いてしまう。
ソール・ライターが、想像力のない人間と仕事をするのは疲れるだろうって言った言葉を、思い出していました。
画家同士の精神性の高い会話や
雨の中描くシーンには、なにか打たれるものがあり。
挟まれる、来訪者の存在や
内戦の記憶、等々
映画を契機に、A・ロペスについてもいろいろと調べてみるけれど、私は美術の専門家ではないし、巨匠とか言われるとそれだけで畏まってしまう。
けれど、彼がどう巨匠なのが、それがどれくらいシンプルで、彼自身がなんともなく道を歩いて、素朴に生きてるのかが、そのことが愛おしくてたまらなく、それだから秀逸であることが伝わってくる。
ロペスがなぜマルメロの実を描きたい、と望んだのかよくわかるような、気持ちになることが、この映像の素晴らしさのひとつを語ってくれているような気がします。
雨に降られ、風に当たって、描き続けるひとりの人のただの素朴なその姿が、ここまで秀逸で。
細切れではなくて、やはり大きなスクリーンで、見たい。あの雨に自分が打たれるような、沈み込むような気持ちになったら、きっといろいろなものが流される精神性になっただろうと思います。
上映、映像に触れられる環境の普及を望んでしまいますが、あまりにささやかで、世界はその光に気づけないだろうし、気づいたとしても、きっと消してしまうだろう、というような気もします。
そして、再び描き始める。
時は進む。
次第に私たちの心にも深く沈んでくる、ロペスとマルメロの関係性。
そしてまた、今年もロペスはマルメロを描くことを、諦めていく。
"もっと全体を"
"色の価値を知れ"
"あの陽光(ひかり)を描かなきゃ"
自らが描く者でなくても
心に残る言葉でした。
生きる、営みとは。物を作るとは、シンプルで果てのない問い。
私自身、父がPCのエンジニアで生計を立ててきた人なので、自作のPCが生家には溢れていて、甲斐甲斐しく細かな工夫を重ねて物作りをする人、というのを、幼い頃から真近で見ていました。
(これは余談だけれど、技術の黎明期にはだから今のような頭脳だけでなにかを組み立てていくのではなくて、身体的な、手先を器用に使うことだったり、みたいなことも必要とされていたんですよね。これは私はひとつ大切な視点のように思っています)。
私自身は、音楽がとても好きでそのことの表現についてならいくらでも、なにかを語れるような気がします。
絵とは、描くとはなんだろうか。
それらについて、精神性を傾ける
こんな風に素朴に。
なにかに心を揺さぶられること
作る、掴みたいと思うこと。
それらが、生きることとともにあること。
大切に見返したい作品がまたひとつ増えました。
"この小さな庭には世界のすべてがある"
エリセ、泣いてしまいます。