マルメロの陽光の作品情報・感想・評価

「マルメロの陽光」に投稿された感想・評価

kazwow

kazwowの感想・評価

4.7
題名通り、裏庭に生えてる何ならしょぼくれたカリンの木の絵を描こうかなー、どーしよっかなー、ってだけの話なんですがなぜこうも膨らみがあるのかな、とても豊かな映画。
hagy

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4.0
おはようございます、
初めてこの映画を観た後の、これほどまでに気持ちのいい朝があるでしょうか、


自分には非常に魅力的に見えて、それを絵に描きたいんだ
この朝だけ見れるこの光をキャンバスに描いてみたくってね
朝のチョットの時間しか見れないんだけどね、これがまたいいんだよ
手をつけてみたらなんだ上手くいかないじゃないか、次の日もやってみるけど、なんだかなぁ、やってみたところどうやら上手く描けないみたいなんだよね、
だから自然と手が止まる、


あぁ、何ですかこれ、
すっごいいいじゃん
あのラストシーンなんかため息ついちゃうよ


エルスールもっかい観よ
エリセは好きだけど、この作品はやっぱり退屈してしまう。けれど、たまに見たくなるのだから不思議。
スペインの画家(アントニオ・ロペス・ガルシア)が庭のマルメロの木を描こうとするが、うまくいかない。何度も何度も書き直すうち、季節は移ろってゆく……。
仏教絵画に、死体が朽ちゆくさまを9段階にわけて描く九相図というのがあるけど、それのマルメロver.みたいだった。

真実を描き取ることにおいて完璧な瞬間は像を結ばず、植物もまた生きて老いるものであるという事実がただ残る。そしてそれは画家本人と重なって……。

こんなドキュメンタリーある? 劇映画というにもちょっと変わってるが
淀川長治が「ドキュメンタリーで、しかも詩がある」って表現しているところに納得。最後の「夢」のモノローグが大好き
思ってたよりも断然いい映画だった。
中庭

中庭の感想・評価

4.6
即興的に会話を交わしているようにしか見えない人物の挙動が、フィックスのカメラで一つひとつカットを割って劇映画的な順当な示され方をすることもしばしば起こり、見ていて混乱をきたしかねない幻惑的な話法が繰り返される。
画家の視線とカメラが同化するような演出は避けられている。マルメロの木と向かい合うときのかなり素早い首の横振りの動きをじっと眺めているだけで何分も過ぎる。観客には見えない中心点が、実物のどこかに存在しているという状況も素晴らしい。
もう大変な映画だ。

マルメロを上手に描けない画家の話。

なんというか、良い意味で最高の環境映画のような雰囲気を持っている。
寝てしまっても心地良い映画、という新しいジャンルを確立したと思う。
くみ

くみの感想・評価

4.5

このレビューはネタバレを含みます

映画作家も画家も、ひいては詩人も「どのように世界を切り取るか」という問いかけが巡るけれど

監督であるエリセとこの作品で取り上げられている画家アントニオ・ロペスは世界に対する向き合い方が似ているような気がした。

たわんだ枝と、黄金のマルメロの実に降り注ぐ陽光。ロペスはそれをキャンバスにとらえるために、マルメロの木とそれを取り巻く空間に寄り添う

そうしているうちに時は瞬く間に去り、豊穣な秋は寂寥の冬へ。彼が描き始めた頃のマルメロの木はもうそこにない。実がしぼみ木が枯れてしまえば、ロペスはついに完成させることができなかった。

それは寡作なエリセを思い起こさせる。エリセはロペスが絵画と向き合う様を、時間が溢れ出してしまいそうなくらいの豊かなイメージの連鎖でスクリーンに映し込む。

そのせいか、ドキュメンタリー性が削ぎ落とされて、劇映画的な虚構性がそこに居残る。ドキュメンタリー作品だけど、いわゆる映画的瞬間があったんです

一人の映像作家と一人の画家のポエティックな結び付き。彼らの作品は世界を美しく見せる鏡のよう。空気は澄み、時はゆっくりと流れ、事物は事物そのものを越えて有機的な広がりを見せる。

ーーー

・強靭なミメーシス
・絵画の奥行きの錯覚
・枠
作品を想像力で補完せず、どこまでもリアリティを大切にしていた姿が印象的
これは画家の「失敗」を描くとともに、彼が捉えきれない現実の光に、映画はいかに迫ることができるか、つまり映画の映画。そして、同じく「失敗」を繰り返してきた、エリセの自画像でもある。

マルメロの周りに集う人々は多国籍で、立場もバラバラ。彼らが一本の木を、果実を通してつながっていく。あの腐っていく果実の隣で新しい実が成るとき、映画は世界の真実を確実に捉えた。
A子

A子の感想・評価

3.3
映画観ながら寝ることなんてないのに、ちょっと寝てた。
穏やかで綺麗すぎる映画も問題だな。
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