とりさん

アイヒマン・ショー/歴史を写した男たちのとりさんのネタバレレビュー・内容・結末

3.5

このレビューはネタバレを含みます

アイヒマンとユダヤ人虐殺の入門編的な要素が多い映画でした。
「まとめ」として観るなら、よく1時間半でまとめたなぁと感心しました。

途中に強制収容所で生き残った方の証言や収容所内の様子を撮った映像が流れたりなど、ユダヤ人虐殺についてほんわかしたイメージで来た方達にとっては、ショッキングでトラウマにならないか心配になる位、館内から「うわっ」やらすすり泣きやら聞こえて来てました。
それ位のインパクトはある映画です。

そう、ただの「まとめ」としての映画なら4.5以上は付けていたでしょう。

だがしかしです。
この映画は「アイヒマン・ショー」。「ショー」が付くんです。
ショーは見世物、見世物になるならばフィクション(嘘)でもOK。
映画はドキュメントも含めて、多かれ少なかれ制作側のバイアスが掛かるもの。
この映画のバイアスは「アイヒマンは怪物か人間か」。
この映画開始の30分程度で監督と老人が言い争う場面にてそれが見えてしまいます。
「これは悪の凡庸さに掛けた内容の映画にするつもりだな。」出ばなで種明かしをされた気分です。

そこがイギリスらしいと言えば、イギリスらしいんですが
フランスの監督だったら、もうちょっとここら辺ぼやかして考える余地与えるんだろうなぁと、つい思ってします^^;
でも、これも内容が良いからそう思ってしまうんでしょうね。

制作側が全員ユダヤ人なバイアスもバンバン掛けられて、アイヒマンどんどん勝手な想像の人物に担ぎ上げられて行きます。

悲惨な証言を表情ひとつ変えずに聞いてる→あいつは怪物とか・・・

いやいや、アルゼンチンで平穏な生活をすごしていたのに、周り敵だらけの国に送られて死刑になるのがほぼ確実な上、4日間に渡り長ったらしく罪状読み上げられれば、人間鬱状態になって他人の証言や人の事なんぞうわの空にもなるんじゃないのでは・・・。

クライマックスの検事とアイヒマンのやりとりの際、疲れっ切った彼の表情を見ながら、そんな推測が頭をよぎりました。
そう思う私は、やはりアイヒマンは人間であったと思っているんでしょうね。

さて、長くなりました・・・。
私がこの映画で一番考えさせられたポイントは報道について。
強制収容所の生き残りが、アイヒマンの裁判前までどう言う扱いを受けていたか、アイヒマンショーを行った事で声に出せなかった方達が声に出せる自由を得た事。
ここにアイヒマン・ショーを放送する必要性を感じ、マスメディアの意義について考えさせられました。

マスメディア関係者頑張れ!って感じです(/・ω・)/

ちなみにハンナ・アーレントの「悪の凡庸さ」
当時この状態でそれを提唱したら、ユダヤ人から総スカンされても仕方ないですね。タイミング悪すぎかも。^^;
そんな彼女の勇気に複雑な感服を覚えて、映画館を出るのでした。
とりさん

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