ikumura

ジーザス・クライスト・スーパースターのikumuraのレビュー・感想・評価

3.7
【イエスが分からない人たちの物語】
ロックダウンと聖金曜日〜イースターに合わせて、ということで
ジーザスクライストスーパースターが期間限定で公開されている
https://m.youtube.com/watch?v=GpO4ohqx3os&feature=youtu.be
ということで、過去二回くらいみたこれを思い出しレビュー。

聖書の、イエスの受難物語を下敷きにしたロックオペラ。
70年代だけあって、ヒッピー風のジーザス崇拝者たちがロケ地のイスラエルを舞台に踊りまくる。
↑の現代版だと、使徒たちはバーニー支持者の若者、祭司たちはウォールストリートのビジネスマン、ヘロデはリアリティテレビ出の大統領を思わせる感じで、
非常に時代のアクチュアリティに合わせやすい脚本なのだなと思う
(もっといえば聖書が時代を超えてそういうインスピレーションを与えてきたということ)

あとは、歌がキャッチーでとても良い。
映画としてみると若干舞台的な高揚感に欠けるか。。?と思うところがないでもないが。

話の軸になるのはイエスだけではなく、むしろ裏切り者のユダと言うべきか。
あとマグダラのマリア。
二人とも熱狂的にイエスを愛しながら、イエスの愛に自分の理解を超えたものを感じる。
ユダの裏切りも、その理解できなさへのやけっぱちな反応として解釈される。
(似た発想で書かれた太宰治の『駆け込み訴え』もやっぱりすごいな・・・と思う)
マグダラのマリアは、分からないながらも離れず、自分のできる限りの愛で答えていこうとする。イエスが磔になろうと離れない。
そして復活に最初に立ち会うのは彼女なのだ(復活はこのミュージカルでは描かれない)。

革命を待ち望む使徒たち、フォロワーたちもイエスを本当に理解しているわけではない。
祭司たちやヘロデ王子もイエスが「メシア」である事の意味は当然理解できない。
ただ冷笑と民衆の扇動者への恐れから、
ローマ総督のピラトに裁きを依頼し、ピラトは民衆に諮り、
民衆はさっきまで熱狂していたイエスを磔にせよと求める。

イエスはだれにも理解されず、一過的な熱狂の被害者として、
「神よ、なぜ私をお見捨てになったのですか」と呟き、息絶える。

こういうイエス像が神学的に正しいのかはよく分からない
(なぜ私をお見捨てに〜というのも、旧約の詩篇からの引用であって、必ずしも絶望の叫びではないとされる)
し、まあ協会の権威を重んじる保守的なクリスチャンには受け入れられない、
というあたりが当時賛否両論だった理由だろう。
とはいえ、ユダやマグダラのマリアを話の中心に持ってくるというのは、
現代の聖書の読み直しの中ではむしろ見直されてる点だと思うし、
当時から「聖書の理解や布教に役立つ」と評価していたクリスチャンもいた模様。
それに、一見熱心な信徒も含め、本当にクリスチャンはイエスを理解してるのか?
というメタな問いかけ、
社会問題や弱者への冷笑的態度がイエスを殺す、というストーリーは
イエス以外の「我々」についてのものとして、
時代を超えたメッセージを持つものだなと改めて思った。
ikumura

ikumura