マルメラ

サウルの息子のマルメラのレビュー・感想・評価

サウルの息子(2015年製作の映画)
2.8


まず、正直な感想から。
全然乗れなかった。
ホロコーストといった民族撲滅政策が題材なので、あまり否定したくはないのですが。
映画の出来とは別だと考えました。

相変わらずですが、長文を予定しております。
気合い入れてご覧くださいww

町山智浩氏が「映画には2つのパターンがある」とおっしゃってました。

まず、骨組みがしっかりしているパターン。
起承転結がしっかりしていて、目的があり、その目的を果たすために行動するタイプ。

もう1つはエッセイのような形式のパターン。
関係性のないエピソードが続き、主人公が成長するわけでもないが、エピソードがそれぞれ面白いから成り立つタイプ。

今作は明らかに前者です。
この映画をまとめるとこういう映画ですよね。
「ゾンダーコマンドをしている男が、息子と思われる遺体を見つけ、ユダヤ式⁇の方法で埋葬してあげようと奮闘する。」
目的は息子の(正式な)埋葬。
ちなみに、正式な埋葬でもラビは要らないらしいですよ。
埋葬の前に弔辞っていうんですかね。
なんか読み上げれば、それでいいらしいです。

この目的のために主人公はいくつもの障害を乗り越えるんです。

この設定までは凄い良かったです。
主人公の目的も明確で。それに対するアウシュビッツという土地的な制約。
周りの人間との齟齬。
ここら辺までの設定は良かったです。

では、何が個人的にダメだと思ったか。
「主人公の魅力の無さ」です。
最初は、アウシュビッツという特殊な環境の中でも息子のために命をかけて埋葬してあげようとする父親という魅力がありました。

しかし、途中から収容者の反乱が匂わされてきたあたりから、この主人公の勝手な振る舞いに私は乗れませんでした。

作品内でも「死者のために生きてる者が犠牲になる」みたいな台詞がありましたが。
まさにその通りで。
明日殺されるかも、もしかしたら1時間後には殺されるかもしれないという状況下で、反乱を起こそうとする収容者達の願いを託されたにも関わらず、自分の目的のために願いを無視してしまう。
こんな主人公好きになれません。

収容者の言った通り、爆弾があればもっと上手くいったかもしれないし。
もっと死者だって減らすことができたかもしれない。

ここからネタバレしますよ。
息子が息子じゃなかったなんて、アリですか?
唯一、この主人公の目的を肯定する事実すら無くされたら、何もこの主人公を正当化する要因が無いじゃないですか!

それに、目的として与えられていた「息子の埋葬」すら失敗に終わり。
カタルシス無し。

そうは言ってもマルメラさん。
アウシュビッツでっせ。
ホロコーストでっせ。
それだけで意義あるじゃないですかという意見もあるでしょう。

でも、「シンドラーのリスト」にしても事実と違うという否定的な意見はあるものの。
それでも特殊な環境の中で人間的な道徳を保とうと奮起する男の物語には、例えば会社の不正を内部から世の中に伝えた方が良いか迷う人には意義のあるものですし。

「ライフ・イズ・ビューティフル」には父親の息子を守ろうとする優しさが溢れていて。
人を憎むような環境下でも、それでも人生は楽しいんだ!美しいんだ!と息子に伝える父親の姿に心を打たれるお父さんは多いはず。

ドキュメンタリーでないのであれば、この映画の登場人物の行動が、現代を生きる私達にとって意義のあるものでなければ、映画にする意味がないと私は思います。

ホロコーストやアウシュビッツは何かを伝えるための1つの手段に過ぎないというのが、私の考えです。
例えばアメリカ南部の黒人奴隷の問題についても。
多角的に今まで映画にされてますが、映画にする際にはそこにドラマを持たせ、カタルシスを持たせ、観客を楽しませています。
タランティーノの「ジャンゴ繋がれざる者」であっても、題材は黒人奴隷ではありますが、マカロニウエスタンという手法で観客に黒人奴隷の実態だけでなく楽しみも与えています。

ゾンダーコマンドという事実だけ知れれば良いなら、著書を読めば良い。
ドキュメンタリーを見れば良い。
フィクションの映画にする必要がないんです。

という理由から私はこの映画を高く評価しませんでした。

しかし、映像の構図などの視点から評価する人も理解できます。
そこには異論はありません。

ただ、脚本的にいうと。
あまり褒められる脚本ではないかなと。

おそらく、この映画を見た方の感想もアスペクト比の話や、ゾンダーコマンドという歴史的事実に集約されているのではないでしょうか。
マルメラ

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